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597. 下痢と咀嚼


情報の咀嚼について改めて考えるきっかけを与えてくれたのは、何気ない日常の出来事であった。オランダで生活を始めて以降、一ヶ月に一度のペースでお腹を壊す事態に見舞われていた。

とかく変なものを食べたわけでもなく、いつもと変わらない健康的な食品を食べているつもりでも、お腹を壊すことが定期的にあったのだ。私がサンフランシスコでヨガのインストラクターの資格を取得しようとしていた時、人体の構造について扱う解剖学(anatomy)と身体の構成要素の機能ついて扱う生理学(physiology)を学んでいた。

その時に、自分がいかに人間の身体について無知であるかを思い知らされたのを覚えている。同時に、人間の身体がまさに小宇宙と呼ばれる所以も、その時に掴んだように思う。

最近は、物理的な人間の身体について探究することはめっきり減ってしまったが、それでも、それは非常に関心をそそる対象であり続けているのは間違いない。 昨日、ちょうどお腹を壊す事態に見舞われたので、下痢の仕組みについて調べていた。下痢を催す要因は、幾つかの種類があるが、過去の経験データを振り返ってみると、私の場合は、どうやら消化不良が原因のようだと突き止めた。

基本的に私は、普段の食事を非常にゆったりとしたペースで取るように心がけている。つまり、できるだけ食べ物をよく噛み、しっかりとそれを咀嚼しながら味わうことを心がけているのだ。

しかし、時折、噛むことを忘れて何かを考えている自分がいることに気がつく。実際に昨日も、食事という行為に全身全霊が傾けられておらず、食事中にあれこれと考え事をしており、何らかのアイデアが浮かんでは、食卓から書斎に駆けつけてメモを取る、ということを何度か繰り返し行っていたのだ。

意識が食事に向かっておらず、抽象的な概念に向かっていては、消化が悪くなるのも無理はないだろう。 それにしても、抽象的な思考運動は実に厄介だと思った。言い換えると、抽象的な思考運動は、身体的な運動に引けを取らず、あるいはそれ以上に、その運動に従事している最中に快楽物質を放出し、他の活動を遮断させてしまうような力がある、と感じたのだ。

湧き上がるアイデアに無我夢中の時、私の意識は思考運動を促すことにだけ使われており、消化器官の運動を妨げていたことにはたと気づかされたのである。私が下痢を催す最大の要因は、思考世界への没入による、食事に対する意識の欠落にあったのである。

それが判明して以降、観想的な意識状態の中で食事をとることを心がけるようになった。こうした事態は、食事への向き合い方のみならず、情報への向き合い方にも表れているだろう。情報を真に咀嚼するためには、観想的な意識状態の中で情報と向き合うことが重要なのだ。

身体世界の下痢よりも、思考世界の下痢は気づきにくいものであるだけに、非常にタチが悪いと思うのだ。食べ物と同様に、情報もよく噛むことを忘れてはならないだろう。2016/12/6

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