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587. 言葉の淀みと開放


昨日を振り返ってみると、自分の内側から言葉がほとんど出てこなかった、という不思議な体験をした。一日の終わりにその日の振り返りを行うことや、一日のどこかで必ず、自分の思念や感覚を言葉にしてみる、ということを習慣にしてから随分と時間が経った。

昨日は、自分の言葉の流れに何やら淀みのようなものがあったように思う。この淀みを生み出しているものが存在しているはずなのだが、まだそれを特定することができていない。言葉の流れを遮るものを特定することができた時、内側の流れの進行が、また新たなものに変貌を遂げるように思える。

書斎の窓から景色を眺めると、微量の雪が積もった車がストリートに停まっているのが目に飛び込んできた。車の数が多いのは、今日が休日の日曜日だからであろう。今日のフローニンゲンの街の様子は、日本でいう、正月の朝のような印象を私に与える。

初日の出が醸し出す独特の光の色合いや感触が、私の内側の世界に流れ込んでくる。薄黄色の柔らかい光と丸いものをなでるようなあの感覚を、今の私は感じている。

ここ何年も日本の正月を味わうことができていないのだが、数年ぶりに、今年は日本で正月を迎える予定である。その時の一時帰国で、自分がどのように正月を体験するのかを、とても楽しみにしてる。

昨日、知人の方から話を伺うと、オランダでは、何やらクリスマスが二度あるらしい。少し調べてみると、12/6にシンタクラース祭というものが催され、12/5はその前夜祭が行われる日ということがわかった。

街全体や河川に停められている船が、少しずつイルミネーションされ始めていたのは、シンタクラース祭を祝うためだったのだ、と気づいた。それにしても、国によって様々な異なる文化的行事があるものだ、と改めて思わされた。

そして、そうした文化的行事の裏には、積み重ねられてきた歴史や固有の意味が必ず存在しているのだ、ということにも再認識させられた。偶然にも、シンタクラース祭の前日は、論文アドバイザーのサスキア・クネン先生とのミーティングがあるため、クネン先生にこの文化的行事について、あれこれ質問してみようと思う。

冒頭で言及したように、昨日は自分の言葉の流れに淀みがあり、それが影響してか、非常に暴力的な夢を昨夜見た。これは生物としての人間が誰しも根幹に持っている暴力性を如実に反映するような夢であった。

自分の中に、強力な暴力性が存在しており、それが表出されるかのような夢であった。こうした夢を時折見るのであるが、夢の中で暴力性が表出されると、必ずその場面で目が覚める。それぐらい、そこでの暴力性の表出は激しいものだと言える。

そうした夢から覚める時、何かを発散させることによって得られる開放感のようなものをたいてい感じる。今日も、そのような開放感を味わった。こうした開放感によって、言葉の流れを遮っていた障害物が流れていったように思う。

ただし、そうした暴力性を生みだした自分のシャドーは、依然として私の内側に残っているのだ、という感覚もある。こうした暴力性の根源を特定するには、まだ時間がかかりそうである。2016/12/4

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