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582. 表現活動


昼食後、一時間ほど仕事をしてから、いつものようにヨガのシャバーサナ瞑想をしながらの仮眠をとった。仮眠中、寝室の窓に雨がぶつかる音が聞こえた。午前中の晴れ模様を考えると、その雨は通り雨であったようだ。

仮眠を済ませて、再び書斎に戻り、窓の外からストリートを眺めると、雨の跡が見られなかった。どうやら、寝室側の窓の上を通った雲が雨を降らし、書斎側の窓の上の雲は雨を降らせなかったようだ。

このような極めて局地的な現象があるものだと、改めて思い知らされた。今回の一件は、局地的な現象を見て、早急に一般化することの危険性を教えてくれたように思う。研究過程の中で、あるいは日々の探究の中で、早急な一般化を行うことを避けなければならない。 現在進行中の「卓越性(知性や能力が高度に発達した現象)」を取り上げているオンラインゼミナールの中で、表現活動の重要性について話題となった。私たちは誰しもが卓越の境地に至る種のようなものを持っているという考え方のもと、そうした種を開花させるためには、種を育んでいくための行為や実践が不可欠である。

そうした行為や実践の中でも極めて重要なのが、世界に対して自己を表現していくこと、あるいは、表現の産物を世界に提示していくことだと思う。確かに私たちは、日々の生活の中で何らかの活動に従事している。

しかしながら、自らの卓越性の種を開花させるためには、活動の最中で表現の産物を残していくことが極めて大切になると考えている。なにやら、卓越性の発達プロセスにも、「自己創出(オートポイエーシス)」という現象が起こっているようであり、表現が新たな表現を生み、新たな表現がまた新たな表現を生むことによって、私たちの卓越性は磨きがかけられると思うのだ。 先ほどの仮眠中に湧き上がっていたのは、世界に対して何も表現することなしに、何らかの活動を続けていくことは、洞窟の中で瞑想に明け暮れているのと同じである、という考えであった。これまでの私は、いかに洞窟の中での瞑想に明け暮れていたのかを反省させられたのだ。

こうした洞窟から抜け出るまでに、相当の時間を要したように思う。現在、意識的に取り組んでいることは、自分なりの表現活動を特定し、その活動に継続的に取り組んでいくことである。

とにかく、内側のものを形として外側に提示し、それを積み重ねていくことが大事なのだと思う。私にとって、そうした表現活動の一つは、やはり文章を書くことなのだと思う。

学術論文にせよ書籍にせよ、このような日記にせよ、自分にとって、書くということは、非常に大切な表現活動なのだと改めて思わされた。 フローニンゲンの街は、午後から夕方のちょうど中間地点に差し掛かっている。通り雨が過ぎた後、再び太陽の光が辺りを照らしている。冬の太陽らしい、穏やかで優しい光が辺りを包んでいる。

書斎の窓から、鳥の群れが空を舞っているのが見えた。空を舞う鳥たちの一羽一羽が、各々の表現活動を行っているのだろうと思わずにはいられなかった。夕方から就寝まで、再び自分の仕事に取り掛かろうと思う。2016/12/2

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