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564. 探索とゆとりについて


小鳥たちの美しい小さなさえずりが、早朝のフローニンゲンの静寂な空間の中にこだましている。早朝六時の真っ暗闇の中、小鳥たちのさえずりは、闇の中を進む存在にとっての道しるべのような役割を果たしているように思えた。

朝の八時に近くなってから、ようやく辺りが明るくなってきた。今日は、寒さの中にも暖かな太陽が差し込む土曜日である。土日の早朝に開催しているオンランゼミナールを終え、一息ついていた。

書斎の開放的な窓から見える景色は、常に私を支えてくれる大切な存在となった。自分を呑み込むような晴れ渡る空が、私の眼の前に広がっている。裸になった木々に、小鳥たちが休憩にやってくる。レンガ造りの家々の屋根に、冬のほのかな太陽光が当たっている。

そのような景色が、書斎の窓から広がっている。これらの何気なく、かつ常に新鮮な気づきをもたらす景色に対して、私はいつも包み込まれているような感覚を持っていた。だが、今日のこの瞬間は少し違った印象でそれらの景色を捉えていたのだ。

これらの景色に呑み込まれている、包まれているというよりも、景色に包まれている自分と景色の双方を包んでいる自分がいることに気づいたのだ。この感覚は、以前どこかで味わったような気がしていた。

思い出してみると、それは今年の夏の欧州小旅行で体験したものであった。あれは確か、ハノーファーからライプチヒに向かっている列車の中での出来事だったように思う。ある瞬間に、景色を見ている自己が消え去り、私が環境の中にいるのではなく、環境が私の世界にいる、というような感覚に陥ったのである。

こうした感覚は、自己中心的なものとは性質を異にしている。実際に、目の前の景色が自己に他ならないとわかった時、自己中心的な考え方など湧きようがないように思うのだ。自己の存在が拡張していき、自己中心性が縮小していくというのは、おそらくこのような感覚のことを指すのだと思う。

このような感覚が少しずつ自分の中で育まれている背景には、やはり心のゆとりや時間的なゆとりのようなものが存在している気がする。そこからふと考えたことがある。

全ての人には、各人固有の創造性や卓越性の種のようなものを持っているのだが、それらを開花させることがいかに難しいかについて、再び考えていたのだ。それらを開花させるために必要な対象を自分で発見し、自己の全存在をかけてそれに取り組んでいくことが、かくも難しいのはなぜなのかについて少し考えさせられていた。

そもそも、自己の全存在をかけるに値する対象を自ら見つけることは極めて難しい。この問題について考えている時に、私の論文アドバイザーであるサスキア・クネン教授のある論文をふと思い出した。

クネン先生は、アイデンティティの発達を専門としており、アイデンティティが発達していく際には、自己を深めていくという「関与(commitment)」が重要になる。これはアイデンティティの発達のみならず、どのような領域においても、そこで卓越の境地に至るには、関与が重要になるのだ。

つまり、卓越の境地に至るためには、その領域に対する継続的な関与が重要になるということである。しかし、それは非常にありきたりな指摘かもしれない。そこで重要になるのは、「探索(exploration)」という概念である。

アイデンティティが発達していくためには、自己を垂直方向に深めていくという関与が重要なのだが、関与の前に、自分は一体何者なのか、どのような領域で自己を深めていくのか、という探索が、実はまず求められることなのだと思う。

このような探索を十分することなしに、アイデンティティを深めていくことは非常に難しいのだ。ある意味、このような探索をしないというのは、目的地の定まらぬ中で、ひたすらに歩き続けているような状態だと言えるだろう。

「探索」というのは、アイデンティティの発達のみならず、各人が持つ卓越性の種を開花させるためにも非常に重要だと思うのだ。現在の私は特に、成人期以降の知性や能力の発達を探究しているが、正直なところ、成人期前の生き方というのが、極めて大きな意味を持つことを日々痛感している。

現代の多くの成人が、自己の全存在をかけるに値する対象を見つけることができていないのは、幼少時代に探索のゆとりを奪われていたからではないか、と思うのだ。ここではもちろん、ゆとり教育を手放しに推奨しているわけではない。

だが、子供達に探索のゆとりを与えるという発想そのものは、非常に重要なものだと思うのだ。ゆとり教育の政策がなかなか実を結ばないのは、結局、日本に依然として徴兵制度が頑なに残っているからだと思う。

ここで述べている徴兵制度とは、受験戦争に子供達が駆り出される現象のことを指している。子供達が徴兵されてしまうことによって、己が一体何者なのか、自分はどの領域で力を発揮することができるのかを真に探索する精神的・時間的なゆとりが奪われてしまっていると思うのだ。

人間が生涯にわたって発達していくためには、そして個人が自己の独自性を真に表現し、己の卓越性を磨いていくためには、何にもまして、このようなゆとりの中で子供時代を過ごすことが大事だと思う。それが子供の特権であり、発達の最重要要件であるようにすら思える。

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