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558. 言語への関心


ザーニクキャンパスで行われた「研究倫理」に関するレクチャーの前に、発達心理学科に在籍しているピーターとたわいもない雑談をしていた。ピーターが日本の浅草を訪れた話について、あれこれこちらから質問をしていた。

アムステルダム出身のピーターは、アムステルダムにある日本語学校に通っていたことがあるらしく、片言の日本語を話せる。ピーターが片言の日本語を話すと、すかさず私も片言のオランダ語で返答する、というような微笑ましい奇妙なやり取りが二人の間でなされることが多い。

日本人として生活していても出現頻度がそれほど高くない単語を外国人が知っているときは、驚きと同時に感心してしまう。私の母方の祖母は江東区に住んでおり、私が小さい頃は、浅草の花やしきや浅草寺に一緒に行った思い出がある。

ピーターの浅草話を聞いていると、そのようなことを思い出した。また、四年前にサンフランシスコから東京に一時帰国した際に、浅草演芸ホールに落語を一人で聞きに行ったのを覚えている。このように浅草には少しばかり馴染みがあったため、ピーターとの話が盛り上がった。

そのようなたわいもない話をした後に、今度はお互いの研究の話をした。ピーターの話の中でも特に、「子どもたちの知覚行動の戦略が、一つのアトラクターから別のアトラクターに移行するプロセスに関心がある」というセンテンスが大きな印象として私の頭の中に残っている。

ピーターのこの発言は、ダイナミックシステムアプローチと発達心理学にある程度馴染みのある者にしか意味がわからない類の言語表現であり、ピーターがこのセンテンスを発した背景について、とても興味深く思っていた。

当然ながら、ピーターと私は、「複雑性と人間発達」というダイナミックシステムアプローチに関するコースを共に履修しており、発達心理学に関してもお互いに共通した専門分野である、と先日の立ち話で確認をしていたため、それらの言語体系が共通言語としての役割を果たしていたことはわかる。

しかし、興味が惹かれるのは、異なる二人の人物がそうした特殊な言語体系を共有しているという事実と、暗黙的にその共通言語が発動されるということであった。また、浅草の話から複雑性科学の話に移行するという、言語の文脈変化のプロセスも大変面白いものだと思っていた。

ピーターが、先ほどはかっぱ橋の調理具専門店街について話をしていたかと思うと、今度は、子どもたちの認知能力が一つの安定的な状態から、別の安定的な状態に収束していく、という話に移行しており、お互いに両者のテーマ——かっぱ橋と人間発達——について、何不自由ない会話が成り立っているのは、考えてみると大変不思議な気がしてならない。

言語の領域固有性と領域内での階層性が存在しているのは、周知のことであったが、改めてそれらの領域と階層の行き来が、これほどまでに動的になされうることは、驚くべきことだと思う。

ピーターと共通の関心テーマを持っていることのみならず、彼の意味世界の作り方は独特で面白い。お互いに共通の意味世界を持っていることはわかっていたのだが、会話を続けていると、ピーターは独特な順番と形で意味を作り出すことが徐々にわかってきた。

私たちは言語的コミュニケーションをするとき、お互いの意味世界の段階を掴むことだけが重要なのではなく、意味世界の作り方を掴むことも重要なのだと思う。ピーターの発話ごとに作り出される意味の塊を観察していると、私があまり選択しないような順番と組み合わせ方を用いることによって、意味の体系を作っていることに気づいたのだ。

これは意味の構築段階(レベル)の話ではなく、構築手法の種類(タイプ)に関する話である。お互いに共通言語を持ち、同じ意味の階層性に属していながらも、意味の創出方法が異なれば、非常にユニークな意味の総体を作り上げることができるのだ、と改めて気付かされた。言語に関する関心は尽きない。

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