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547. 体系の死物化と普遍化


偉大な知性や能力を携えていたとしても、それが一切評価されることなく、この世界で存在意義を認められなかった人物について思いを巡らせていた。私が師事をしていたオットー・ラスキー博士は、極めて洗練された理論体系を構築していたにもかかわらず、構造的発達心理学の世界で評価されることがあまりなかったのはなぜなのかについて、改めて考えていた。

研究者が打ち立てる理論体系にせよ、学者が打ち立てる思想体系にせよ、それそのものが生き物としての性質を持っており、一つのリビングシステムなのではないか、と思うに至った。リビングシステムというのは、まさに動的に変化するシステムのことを指しており、大きな特徴として、環境や文脈と絶えず相互作用することによって、そのシステムは生命を維持することができる、というものが挙げられる。

つまり、リビングシステムは、置かれた環境や文脈と相互作用ができなくなった時点で、機能不全に陥り、死滅してしまうのである。これは、理論体系や思想体系にも等しく当てはまるのではないだろうか。

システムが、ひとたび文脈への感受性を失うと、硬直化してしまうのと同様に、理論体系や思想体系も、固有の学問領域や時代精神といった文脈と相互作用ができなくなってしまうと、過去の遺物として葬り去られてしまうのではないか、と強く思うようになったのだ。

この論点は、今の私にはまだ見えない重要なことが無数に隠されているように思う。とにかく現時点で明確になったのは、動的なシステムである人間が生み出した思考の産物も動的なシステムであるがゆえに、文脈との相互作用が欠落した瞬間に、思考の産物が硬直化してしまうのである。

一人の表現者として、何かをこの世界に創出しようとするとき、ここにさらに大きな課題が潜んでいるように思う。現在、研究という仕事をしながら思うのは、これまでは研究成果という科学的な知識を享受する側に回っており、そうした知識を表面的に身につけることがいかに簡単であり、逆に自らの手で一つの知識を創出することがいかに難しいか、ということを痛感している。

つまり、科学的な知識を消費することは、誰にでもできることでありながら、科学的な知識を生産することは、表現者としての高度な力を要求していると思うのだ。そこからさらに困難な課題は、仮にひとたび一つの知識を生み出せたとしても、それが当該学問領域という文脈や、その知識を活用する他の社会的な文脈との間で、相互作用が生み出されていないのであれば、その知識は死物かつ、研究者の私物と化してしまう、ということだろう。

そのように成り果てた知識をいくら組み合わせて体系を作ったとしても、そこに何の価値があるのだろうか。知を生み出す表現者としての課題は、一つの知を生み出すことそのものでると同時に、その知の中に文脈という血を通わせ、その血が凝血しないようにすることにあるのだろう。

一人の研究者や学者が生み出す理論体系や思想体系が、真の意味で普遍化され、それがこの世界で価値を発揮するのは、まさにそうしたプロセスを、長大な時間をかけながら深めていくことの中にしか存在しないのだろう、と思わされる。

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