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528. 国際司法裁判所からの出発


国際司法裁判所の門前で、私は時計塔と平和宮をただただ眺めていた。帰りの列車の時間が迫ってきていることに気づいたのは、しばらく経ってからのことだったと思う。

フローニンゲンへの直行便に乗るためには、ここで国際司法裁判所と別れなければならなかった。時計塔と平和宮を背にし、デン・ハーグ中央駅に向かおうと思った瞬間に、後ろ髪を引かれるような感覚があり、最後にもう一度、それらの建造物をただただ眺めていた。

国際司法裁判所を出発しようと思って、中央駅に向かって歩き始めた時、それが文字通り、自分の新たな出発であることに気づいた。今日、この瞬間に、デン・ハーグの国際司法裁判所を訪れるまでは、そこに足を運ぶことが、自分の中での何かの終着地点だと思っていたのだ。

しかしながら、それは完全に誤りであることに気づいたのだ。国際司法裁判所に足を運んだことは、何かの終着を意味するのではなく、そこからの出発を意味しているということに気づかされたのである。

まさに、国際司法裁判所から、私の内側の新たな展開が開始されたことを知る。私たちの内側では、いついかなる時にも、新たな出発が始まっているのだ。私たちの人生は、出発の連続であり、結局のところ、終着地点など存在しないことに気づかされる。

デン・ハーグを訪れた今日の旅は、一日という短い時間のものであったが、これほど重要な意味を持つ旅もなかなかないと思う。デン・ハーグ中央駅へ向かう最中、私の頭の中では、今日訪れた二つの美術館の記憶と国際司法裁判所での記憶が渦巻いていた。

これらの記憶が、真に自分の経験として昇華される時、私はさらに前に進むことができるのだろう。デン・ハーグからフローニンゲンへの列車の中、私は今日の体験をただただ反芻していた。列車の窓から、暗闇の中で光を灯す車や建物が見える。

それらのものが過ぎ去っていくのを眺めながら、今日の体験の多くは、この過ぎ去る景色のように、自分の内側を通り過ぎて行ってしまうのだろうと思った。だが、今日の体験のごく少数のものが、自分の内側で経験の形としてろ過されるのであれば、それでいいと思った。

経験としてろ過されたものが、私の内側で強い光となってくれるのであれば、それ以上望むことは何もないだろう。今日この瞬間から、また歩き始めたいと思う。

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