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526. 視覚の魔術師マウリッツ・エッシャーとの邂逅:エッシャー美術館にて


デン・ハーグを訪れる計画を立ていた時に、その街にあるエッシャー美術館には必ず足を運ぼうと思っていた。私が現在住んでいるフローニンゲンからわずか数十キロ西にある街、レーワールデンで生まれたエッシャーとの最初の出会いがいつであり、どこだったのかは定かではない。

しかしながら、ある時から、エッシャーが残してきた作品に強い興味を示すようになっていたのは確かである。実際に、昨年日本に滞在していた際に、エッシャーの画集を購入しており、時折それを眺めている自分がいたのだ。

エッシャーの魅力を一つ選ぶとするならば、それは、彼が肉体の眼だけではなく、心の眼や精神の眼を通じて、この世界を眺めていたことにあるだろう。エッシャーの作品は、私たちの肉体の眼を錯覚に陥れるかのような特徴を持ったものが数多くあるだけではなく、それらの作品は、実は私たちの心の眼や精神の眼を大いに揺さぶってくれるものだと思うのだ。

サルバドール・ダリと同じように、このリアリティを独特な方法で眺めているエッシャーは、私のお気に入りの画家の一人である。

フェルメールやレンブラントの作品をマウリッツハイス美術館で鑑賞した後、私はその場を離れることを少し惜しみながらも、エッシャー美術館に向かって歩き始めた。未知なる街を歩くのは、新たな発見や気づきが内側から湧き上がってくるため、歩く行為そのものが実に楽しい。

少しばかり大きな通りに出てみると、デン・ハーグの街を走る路面電車と遭遇した。私の歩みと逆方向に路面電車が通り過ぎていった。私は思わず振り返り、路面電車の後ろ姿を眺めていた。路面電車のように、定められた道を正確に歩くことができない人間の一生について、考えさせられるものがあったのだ。

通りと通りの間にある運河を架橋する橋の上に差し掛かった時、複数の白いハトが空を舞っているのが見えた。ハトが舞っている姿は、路面電車の動きとは対照的に、予想のつかないものであった。

デン・ハーグの街並みを眺めながら歩みを進めると、一つの並木道に差し掛かった。その並木道の果てに、エッシャー美術館がたたずんでいるのが見えた。紅葉が終わりかけている並木道を歩く私の心境は、とても高揚したものであった。

なぜなら、終わりかけの紅葉とは裏腹に、これからエッシャーとの深い出会いが待っていると予期されたからである。エッシャー美術館の入り口に到着すると、オランダ王室が所有していた邸宅を美術館にしたというのがわかるぐらい、独特な気品を兼ね備えている美術館だとわかった。

館内に足を踏み入れた瞬間、「ハーグ市立美術館」には行かず、エッシャー美術館をじっくりと味わう必要性がある、と直感的に気づいた。エッシャーの作品や関連資料を見ることができるだけではなく、エッシャーの作品が体現している世界を体験できるような工夫が凝らされた美術館であった。

展示されている作品の一つ一つがどれも興味深かったのであるが、空間の中に無限を表現し、時間の中に永遠を表現した作品は、特に自分の関心を引くものであった。中でも、「発展」「メタモルフォーゼ(変容)」「もう一つの世界」には、特に時間をかけて鑑賞していた。

やはり、優れた芸術家は、鑑賞者を違う世界に引き入れていくという魅力と魔力を持っているのだ、とつくづく思った。有限な存在である人間が生み出すものの中に、無限性と永遠性が宿り得るというのは、実に神秘的なことだと思うのだ。

エッシャーとは分野は違えど、一人の表現者として、自分の作品の中に無限性と永遠性を具現化させる方法を探求していきたいと強く思わされた。科学者として再現性を追いかけるよりも、一人の表現者として無限性と永遠性を追いかけたいと思う自分を捨て去ることは決してできない。

そうした想いこそが、自分の日々の仕事や活動を根底から支えるものになっているのだ、と思うからである。

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