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523. 想いの地、デン・ハーグヘ


今からおよそ三ヶ月前の欧州小旅行と似たような気持ちが湧き上がる朝であった。今日は、早朝の六時過ぎに自宅を出発し、デン・ハーグヘ観光に出かけた。自宅のドアを開けると、そこは完全に冬の朝であった。

身体の芯に届くかのような寒さがそこに広がっており、糸を張りつめたような静けが辺り一面を包んでいた。こうした寒さと静けさは、逆にとても心地の良いものであった。それはおそらく、待ちに待ったデン・ハーグという街にこれから訪れることを期待する気持ちがあったおかげであろう。

静寂さの中で、心の躍動感を確かに実感していた朝というのは、八月中旬に欧州小旅行を開始したあの朝と同じである。フローニンゲンの駅に到着すると、冷えた体を温めてくれるコーヒーを購入し、デン・ハーグ行きの電車に乗車した。

フローニンゲンからデン・ハーグまでは、電車で三時間弱の時間がかかる。電車に乗り込んだ時には、まだ辺りは暗く、景色を楽しむことはできなかった。そのため、持参した専門書を読みながら、しばしの時間を過ごすことにした。

実際には、専門書に目を通す前に、自分のノートを開き、昨日考えていた研究プロジェクトのある項目について、再び考えることをまず行っていた。すると幸運にも、昨日考えが滞っていた箇所に関して、様々なアイデアが湧き上がってきたのである。

列車の二階席に座りながら、景色を眺めることもなく、しばらくの間、ひたすらに自分のノートにアイデアを書きつけるということを行っていた。一つのアイデアが呼び水となり、新たなアイデアが立ち上がっていく。

そして、その新しいアイデアが呼び水となり、再び新たなアイデアが芽生える、というアイデアの循環過程の中に私はいた。窓からの景色や周りの状況について、全く視野に入っていなかったことを考えると、私はノートに釘付けになっていたと言えるだろうし、アイデアの循環過程そのものが私であった、ということも言えるかもしれない。

昨日までの私は、今回の研究で明らかにしたい箇所に対して、どこか漠然とした違和感を抱えていたのである。端的に述べると、「果たして自分は本当に、この問いを明らかにしたいと思って研究に取り組んでいるのだろうか」という、研究提案書の中で提示している問いが持つ力強さのなさに疑問を感じていたのである。

しかしながら、列車の中で体験した湧き上がるアイデアのおかげで、自分が真に明らかにしたいと思う問いが明瞭になってきたのである。研究を行う当事者である本人が、その研究に意義を見出していなければ、いったい誰がその研究に意義を見出すのだろうか?という問題意識を抱えていたため、自分の中で探究に価する問いが明確になったことは極めて大きかったのだ。

ノートに文字を書く手を少し止め、こうした現象を生起させてくれた要因について、しばらく考えてみようと思った。列車の二階席の窓から景色を眺めると、ようやく朝日が昇っていた。今日はフローニンゲンとデン・ハーグともに、快晴であることを事前に天気予報で確認していた通りである。

朝日に照らされた田園風景を眺めながら、以前言及したように、やはり場所固有の精神エネルギーというものが、私たちには備わっているのではないか、と思った。要するに、私たちはある特定の場所にいるとき、特定の精神エネルギーを帯び、その場所にふさわしいような思考を展開する、ということである。

私たちの多くは、普段自分が身を置いている環境を変えることによって——自然の中へ行くことやカフェに行くことなども含まれるだろう——、これまでにはなかったようなアイデアが閃くことを体験したことがあるのではないだろうか。

こうした体験は何やら、その場に固有の力が存在しており、それが私たちの精神に影響を与えることを示唆しているように思う。実際に、私はフローニンゲンという磁場から少し離れる、という試みをしてみたために、先ほどのようなアイデアの噴出が起こったように思うのだ。

当然ながら、それまでに私なりにあれこれと研究に対して考えを巡らせていたのは事実である。フローニンゲンという街の自宅の中で、あれこれと思考を重ねた結果、自宅と街そのものから離れることによって、これまで積み重ねていたアイデアが新たな形に変容したかのようであった。

私たちが住む土地には、どこか「精神変容作用」のようなものが間違いなくあるのではないか、と思わされる体験であった。2016/11/12

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