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490. 不思議な夢と卓越性を阻害するものについて


とても静かな朝が今日も訪れた。早朝の五時半に起床すると、辺りは完全に暗闇に包まれていた。早朝の気温は、すでに0度に近づいており、外は非常に寒い。しかし、人間の順応力というのは大したものであり、もはやこうした寒さを寒さと感じない自分ができ上がりつつある。

今から少し前のことであるが、自己の内側の深海を垣間見て以来、自分の内側で躍動する生命力のようなものが再び活発に活動を始めたようなのだ。そうした熱に浮かされる形で、ここ最近の私は自分の仕事を着実に進めることができている。

昨夜はまた不可思議な夢を見た。昨夜の夢は、内容が不可思議だったというよりも、夢の中の行為と夢から覚めた半覚醒状態の時の行為が不可思議であったのだ。昨夜の夢の中で、私は何やら熱心に文章を書いていた。

書きたいことが山のように積み重なっており、書いても書いても一向にその山は小さくなることはない。それとは全く逆に、文章の形にしておきたいことの山は、日増しに高さを増すばかりなのだ。夢の中で、次から次に文章を書き留めている自分は、小学校二年生の時に、自分の体験が言葉という形をとって、外界に定着することになんとも言えない興奮を覚えたのと全く同じような熱気に包まれていた。

小学校二年生の時の私も、夢の中の私も、文章を書こうと思って書いているわけでは決してないのだ。内側から突き上げてくるものに対して、ただ素朴に忠実に従うことによって、文章をひたすら書いていくという行為と一体になっている感覚なのだ。

文章を書くという行為と自己の一体感のみならず、そこにいる自分はもはや、言葉を生み出す根元部分と同一化していると言えるのかもしれない。溢れ出す言葉に圧倒されることなく、言葉を溢れさせるものと同一化することによって、内側から淀みなく流れる言葉にただただ形を与え続けるという行為と私は同一なのだ。

夢から覚め、目を開けた瞬間にも、まだ書き足りないことがあり、半覚醒状態の中において、私は頭の中で文章をひたすらに書き続けていた。自己と言葉が一体となり、文章を書く行為と自己が一体となっている体験をしたのが、昨日の夢である。

夢から覚めると、昨日取り上げていた「卓越性」に関して少し思うことがあった。卓越性の研究者アンダース・エリクソンが指摘しているように、熟慮ある実践を長大な時間をかけて積んでいくことは、確かに卓越の境地に至るために重要である。

世間において、「量が質に転化する」という言葉は人口に膾炙したものであり、近年では「内省(リフレクション)」という言葉も脚光を浴びているという状況にある。しかしながら、大多数の人が一つの対象に膨大な量の投入を行っているようには私には見えないし、そうした膨大な量の実践を内省と共に実行している人は、ほとんど皆無なのではないかと思われる。

そう考えると、エリクソンの指摘はごもっともでありながらも、人々がそうした熟慮ある実践を長きにわたって継続できないような要因やメカニズムがあるような気がしているのだ。ある領域で卓越の境地に至れる人は、ほんの一握りであることを考えると、大多数の人が卓越に至る道から排除される要因やメカニズムが隠されているのではないか、ということである。

一人の人間の生涯において、自分の資源と存在を賭けて一つのことに没入できるというのは非常に稀なことでもあり、人間性心理学のアブラハム・マズローが指摘するように、そうした人は真の意味で「自己を実現する」という自己実現を経験しているに違いないと思うのだ。マズローが研究対象とした自己実現を果たした人物たちは皆、人間が本質的に持つ生の躍動感と共に生きていたのである。

実証研究が明らかにしているように、卓越の境地に至る人や自己実現を果たす人というのは極めて少ない。しかし私は、どこかそうした人物たちを生み出さないようにする見えない集合的な精神や仕組みが存在しているように思うのだ。

これらは非常に不気味な膜として私たちを取り巻いている。そうした薄気味悪い膜を分厚くさせている一つの要因が、まさに社会で流布する「自己実現」という言葉そのものなのかもしれない。自己実現の本質は、生の躍動感とそこに形を与えるという創出行為にあり、決して地位や名誉、ましてや金銭を獲得するようなことにはないと思うのだ。

残念ながら、世間で流布する「自己実現」という言葉は、後者にのみ焦点が当てられているのが実情だろう。そうした状況の中で、自己を実現しようと思えば思うほど、不気味な膜により一層包み込まれ、真の意味での自己実現から遠のいていくという皮肉な現象が蔓延しているように思える。

高度な知性や能力を獲得する方法やプロセスだけではなく、それらを獲得できなくさせている集合的なメカニズムについて、今後も考えを深めていく必要があるだろう。仮に天賦の才能がなかったとしても、自分が没入できる領域を一つ選び、そこに膨大な量の熟慮ある実践をすれば、卓越性の道は徐々に切り開かれていくはずなのだが、大多数の人がその道から弾き出されてしまっていることの裏には何かがあるに違いない。2016/10/27

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