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481. 離近


今、書斎の窓から夕暮れのフローニンゲンの空を眺めている。空には雲が浮かんでいるのだが、それは流れずそこに留まっているように見える。赤いレンガ造りの家々と同じ色をした夕日が沈んでいく。

このように外の景色を眺めていると、外側の世界をゆっくりと味わうことが、内面世界に均衡を生み出すことに対していかに重要かを教えられる。内側へ内側へと深く降りていくことだけが、自己を理解する道なのではない。

自己から離れ、あえて自己から距離を取ろうとすることも、等しく自己を理解する道なのだと気づく。つまり、対象から離れることは、真にそれに近づく優れた方法なのかもしれない、ということである。

あえて内面世界から距離を置き、外面世界に自己を預けてみると、そこから再び反転して内側に戻ってきた時に、違う景色がそこに広がっていることに気づく。対象から離れる、ということで思い出したのが、11月から始まる新しいオンラインゼミナールについてである。

今回は、高度な知性や能力(卓説性)に対して、発達理論の観点だけではなく、それよりもむしろ他の科学領域の観点から迫っていこうと考えている。ここで見て取れるのは、今の自分が発達理論の観点から距離を置こうとしていることである。

発達理論と言っても範囲が広いので、厳密には構造的発達心理学の枠組みから少し離れようとしている、ということである。過去四年間のゼミナールでは、構造的発達心理学に特化した内容を扱っていたため、五年目の今回は違った切り口で、人間の成長と発達にアプローチしようと無意識的に思っていたのかもしれない。

来年の初旬には、そこから再び反転して、発達科学と複雑性科学を架橋するようなゼミナールを開催したいと思う。フローニンゲン大学での研究生活の意義は、構造的発達心理学という領域から離れることにあるのかもしれない、と最近思うようになった。

実際に、現在の探究テーマのほとんどは、ダイナミックシステム理論のような発達科学と複雑性科学を架橋するようなものばかりであり、純粋に構造的発達心理学に時間を充てていることはあまりない。おそらく、現在探究しているテーマとも数年後には、一旦離れることを余儀なくされるのだろう、という予感がある。

しかしながら、対象から真に離れるためには、まずその対象と根を詰めて向き合う必要がある。その対象を深く深く学んだその先に、そこからの脱却を促す知らせが届くのだと思う。今の自分にできることは、今この瞬間に自分を捉えて止まない対象と真剣に向き合い続けることだけだろう。

今日の夕食後から、私の論文アドバイザーのサスキア・クネン教授が担当する来学期の「複雑性と人間発達」というコースの課題論文を読み始めようと思う。

最後に、対象から離れるということに関してもう一つ書き留めておきたい。幸運にも、オランダのフローニンゲンという街は、自分の存在が心休まる場所になった。フローニンゲンの街と私が調和をなしているのがわかる。

このように環境と同化すればするほど、環境からの恩恵を受ける一方で、逆に環境によって、自己の中にある何かが曇らされてしまうことにも気づく。そのため、ここ最近考えていたのは、時間を見つけてフローニンゲンの街から物理的にも精神的にも離れてみるということである。

再来週に控えた最終試験を終えた次の日に、デン・ハーグヘ、その翌週にはユトレヒトへ、さらにその翌週にはロッテルダムへ日帰り旅行に出かけることにした。そして、来学期の終わりにはベルギーのブリュッセルかアントワープへ数日間の旅行に出かけたいと思う。この意志は、内側からの促しによってもたらされたものである。

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