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480. 日常的な非日常的休日


今日は、非常に仕事がはかどった日曜日であった。早朝にオンラインゼミナール用の教材を作成し、研究プロジェクトに向けて文献リストを作成し始めた。ここからは哲学書や専門書から少し離れ、数多くの学術論文を読み込んでいくことになるだろう。

先日の「人財の評価と選定」に関する学術会議で親しくなったエスターと話をしていたところ、彼女は「心理統計に関するメタ分析」をテーマとした研究を行っているらしい。もともと彼女の専攻は天体物理学であるから、数式が多数絡んでくる統計処理にも問題はほとんどないと思うのだが、今回は理論的な研究をすることにしたそうだ。

何やら少なくても500本の論文に目を通す必要がある、ということを述べていた。これは相当な数である。エスターとの対話によって、私も本腰を入れて参考文献に目を通しておこうと思うようになった。

すでに研究の骨子は決まっており、どのような論文を引用するかの大まかな目処も立っていたため、この辺で参考文献を読み始めるのも悪くないと思う。研究の初期の段階で文献調査の比重を大きくしてしまうと、結局何も動き出さないことが起こり得ると思っていたため、これまでは自分の研究に関係する文献を精密に読むことを避けていた。だが、そろそろこうした作業に取り掛かってもいい頃だと思う。

午前中の仕事を終え、昼食前にノーダープラントソン公園にランニングに出かけた。今日が晴天であれば、先日のランニングで発見したお洒落な家々が立ち並ぶコースを選んだのだが、今日はあいにくの曇り空であったのと、自然の空気を存分に吸いたいという気分であったため、ノーダープラントソン公園を選んだ。

やはり、ランニングをすることによって、自分の中で変動性と安定性の最適なバランスが再形成されるような効能がある、と改めて実感した。先週の木曜日はランニングに出かけることができなかったため、自分の中の変動性と安定性のバランスに若干の歪みが生じていたようである。

ランニングの最中、その歪みが徐々に解消されていくのを確かに感じた。週に二回の運動は、自分の内側の波を整えるためにも、そして自分の仕事を継続的に進めていく上でも必須のものであると思う。

ランニングから戻ってくると、午前中の仕事のはかどりに対する自分への褒美として、午後からは、構造的発達心理学における理論構築手法に関するメタ理論をテーマにした書籍に目を通していた。それらの書籍は、一昨日から読み始めていた“Annals of theoretical psychology vol. 7. (1991)”と “Theory building in developmental psychology (1986)”である。

両者はともに、元フローニンゲン大学教授ポール・ヴァン・ギアートが編集に携わっている専門書である。今日は、主に前者を中心に読み進めていた。本書を読み進める中で、改めてアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとアンリ・ベルグソンという二人の哲学者は、発達科学に多大な貢献を果たしていると言わざるを得ないと思った。

ホワイトヘッドは、「プロセス」という現象を中心に、独自の哲学を展開しており、彼の哲学は、発達現象をプロセスとみなすことを強調する近年の発達科学と通底する思想であると言ってもいいだろう。また、「時間」や「変化」を中心に、哲学的思索を深めていったベルグソンの功績も忘れてはならない。

実際に、発達心理学に多大な功績を残したジャン・ピアジェや複雑性科学に大きな貢献を果たしたイリヤ・プリゴジンは共に、彼らの知的探求の重要な時期にベルグソンの思想に触れていたのだ。この事実を知る前に、私もホワイトヘッドとベルグソンの仕事が大変気になっており、これまで少しずつ彼らが書き残した哲学書に目を通すことをしていたため、ピアジェやプリゴジンが両哲学者の思想に影響を受けていたことは、私を大いに励ますことになった。

ただし、ホワイトヘッドにせよベルグソンにせよ、彼らの仕事を正確に理解しようと思うと、他の全ての仕事を一旦中止して、一年間——下手をすると数年間——ぐらいの集中的な文献調査が必要であると思われるため、今の自分はそこに踏み込んでいくことはできない。

短期的には、自分の研究プロジェクトに関する学術論文を読んでいくことを優先させながらも、休憩時間に彼らの哲学書に少しずつ目を通していきたいと思う。長期的には、いつかどこかの大学院の哲学科に所属して、集中的な探究をしてみたいと心から強く思う。2016/10/23

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