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465. パーソナリティの再考に向けて


少し前に言及したように、人間のパーソナリティに対して強い関心が私の中で湧き上がっている。書斎の本棚から、 “Personality psychology: A student-centered approach (1995)”、 “An introduction to theories of personality (1998)”を同時並行して読み進めている。

どちらの書籍にも懐かしい思い出があり、これらの書籍は、私が四年前に留学していた米国のジョン・エフ・ケネディ大学の図書館で購入したものである。どのような基準で図書館の書籍が売りに出されるのかは定かではないが、どちらの書籍の貸し出しカードにも借りられた痕跡がほとんどない。

これらの本が多くの人の手に取られることはなかったようであり、それが理由となって売りに出されていたのかもしれない。結局これらの本をそれぞれ一ドルほどで購入できたのだ。ほとんど読まれていないため、本の状態も良く、何より得るものが多い書籍であるにもかかわらず、このような価格で購入できたことは、今になって思うと信じられないものがある。

仮にこれらの本が日の目を浴びることがなかったとしても、これから自分が読み進めることによって、少しでも光を与えることができればと思う。以前、認知的発達心理学者のオットー・ラスキーに師事していた時、私は多くのエネルギーを彼が提唱した弁証法思考の発達モデルを理解することに費やしていた。

そのような中、当時のラスキーはよく私に、「もちろん認知的な構造的発達にも関心があるのだが、最近はパーソナリティの探究にも力を入れている」と述べていたことを思い出した。

実際に、ラスキーが提唱した「構成主義的発達論のフレームワーク(constructive developmental framework)」の中には三つの理論モデルがある。そのうちの二つは段階モデルであり、もう一つはパーソナリティに関する理論モデルなのだ。

パーソナリティの研究は多くの心理学者によってこれまで行われているが、その中でも非常に重要な功績を残したのがハーバード大学の心理学者ヘンリー・ミュレーである。ミュレーの弟子にあたるモリス・アダーマンが開発した「欲求・圧力分析」を評価手法として採用していることは、ラスキーの発達モデルのユニークな特徴である。

ラスキーの下で学習をしている当時、私は段階モデルの探究の方に関心を示していたため、パーソナリティの探究にはそれほど熱心ではなかったように思う。それから月日が経って、少しずつパーソナリティに関する理解を深めていこうという気持ちになったのだ。

そうしたきっかけを生み出したのは、以前紹介したように、パーソナリティとアイデンティティを比較し、両者の相違点にふと目が向かったことであった。パーソナリティというのは、間違いなく何物にも代えがたい固有の特性であり、その固有性のゆえに、私たちを呪縛するという性質も同時に持ち合わせている不思議な存在である。

そして、パーソナリティはアイデンティティのように段階的な発達を遂げていくというよりもむしろ、幼少期の頃に形成されたものをそのまま引き受ける形で存在するという特徴がある。確かに、構造的な段階は独自のレンズを生み出すが、性格的なものも固有のレンズを生み出していることを忘れてはならないだろう。

現在、私は毎日のように自分の世界認識手法を疑って検証するような試みを継続させているが、それは今の自分の発達段階が持つ固有の限界のみならず、幼少期に形成された私の性格が生み出す固有の限界に気づくという試みをしているように感じている。

そこには無数の限界が存在しており、それらを一つ一つ解体しては、新たな認識の枠組みを構築しようとする気の遠くなるような作業に知らず知らず従事させられている自分がいるのだ。

アイデンティティに関してはこうした作業の成果を垣間見ることがあるのだが、パーソナリティに関してはそれが難しいように思う。以前言及したように、自分の内面に焦点を当てて文章を書くことによって、アイデンティティを客体として捉え、徐々にアイデンティティの引き剝がし現象のようなものが起こり、質的な変容を遂げることを目撃することがある。

しかし、パーソナリティをいくら客体化させても、アイデンティティのような引き剝がし現象が起こらないのである。これをタイプとレベルという分類上の違いと簡単に捉えることはもちろん可能なのだが、それだけでは納得のいかない特徴をパーソナリティは持っているように思う。

それがまさに質的変容が目に見える形で起こらないということであり、質的に変容しないものを常に私たちに抱えさせているという特徴である。パーソナリティが大きな質的変容を遂げることはほとんど無いということの中には、何か重大な秘密が隠されている気がするのだ。

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