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451. 高みへ


昨夜は就寝前に、何気なく書斎の本棚を眺めていた。本棚をぼんやりと眺めているだけでも、いつも何かしらの発見があるものである。特に、本の背表紙には書籍の中身を喚起するような力があるらしいのだ。

そのように喚起されたものに応じて、こちら側の内側でも何かが喚起される。本棚の本から喚起されるものと私の内側で喚起されるものが共鳴した時、その本を手に取ってみるという動作が生じる。

そのようにして手に取ったのは、ブラッドフォード・ワラックという哲学者が執筆した “The epochal nature of process in Whitehead’s metaphysics (1981)”だった。この本は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの哲学に対する解釈を見直すことが試みられており、ホワイトヘッド哲学の重要概念である「現実的存在(活動的存在)」を中心に、「抱握(prehension)」「プロセス」という用語の再解釈が試みられている。

人間の発達現象を探究していく際に、発達のプロセスを観察していくことが重要であると以前紹介したように思う。そのため、本書の中でも特に「プロセス」という用語を詳細に論述した章は、時間をかけてじっくり読もうと思う。

ここ二日間連続して不可解な夢を見ている。双方の夢に現れた現象を解釈すると、どちらの夢にも「高さ」を象徴するようなシンボルが現れている。それらのシンボルが持つ意味を改めて考えてみると、やはり自分は何らかの高みに向かって突き進もうとしていることがわかる。

覚醒状態でいくらそれを誤魔化したり抑制しようとしたりしても、それはほぼ無意味であり、私の無意識の領域で高みへと至らせようとする内在的な運動が行われているようなのだ。夢の中の自分を観察してみると、自分が望むような高みに至れずにもどかしさを抱えているような姿が見受けられる。

そうしたもどかしさを抱えている自分の気持ちの中に入ってみると、実は彼が潜在的にはより高みへ至れることを感じているようなのだ。しかしながら、高みへ飛翔する力の使い方というものを理解していないようであるし、何よりも、高みへ至ることを恐れているような心境があるのが見て取れる。

私の夢の中で頻繁に現れるシンボルは、空中を飛ぶという行為である。昨夜の夢の中で空を舞っているときにも、必ず地上が見える位置を保っている自分がいた。夢の中の自分は、より高いところを飛べることを知っているのだが、それよりも高度を上げることを相当に躊躇しているようであった。

この夢が何を意味しているのか、そして何を自分に伝えようとしているのかは、今の自分には痛いほどよくわかる。夢というのは、仮に記憶の合成であったとしても、その合成物は今の自分の心境によって変幻自在に姿を変えるという特徴を持っているように思う。

そうしたことからも、夢は今の自分が抱えている課題を的確に言い当てることのできる、現実世界の真実以上の真実を内包しているように思える。

より高い場所を飛ぼうしてもがいている自分を見ながら夢から醒めた。目を開ける前に耳に飛び込んできたのは、朝方の激しい雨音であった。

起床前の早朝にこのような激しい雨が降ったことは、こちらに来て初めてのことだった。昨夜の夢の感覚が、激しい雨によっても流されることなく未だ自分の中に残っている。

高みへ至ることを希求しながらもがく自分と高みへ至ることを恐れる自分を抱えながら、今日の仕事に着手することにした。

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