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432. 感性の通り道


希望という言葉や絶望という言葉が、もはや自分にとってあまり重みを持たないものになっていることに気づいた。これは自分が真の希望を持てていないことの表れなのか、真の絶望を経験していないことの表れなのだろうか。

あるいは、希望や絶望という言葉を超えた意味が自分の中で芽生えつつあることの表れなのだろうか。それらのいずれにせよ、希望や絶望という言葉をたやすく口に出すようなことができなくなっていることは確かである。

今の私は、希望という言葉が発するあの感覚質や絶望という言葉が内に秘めるあの感覚質とは無縁であるような生活を送っているようなのだ。その他にも例を挙げればきりがなく、今の自分に響かない言葉があるというのは不思議なことである。

現在の自分が置かれている状況や自分の中の変化に応じて、言葉の響き方が全く異なるのである。さらに興味深く思うのは、今の私にとって自分に響く言葉は外側からもたらされるものではなく、内側からもたらされるものになっているということである。

つまり、ある言葉を見聞きしてそれが内側に響くのではなく、自分の内側から現れてきた言葉によって自分自身が響くというような構図が見て取れるのだ。ただし、一つ例外があるとすれば、自分の内側から発せられる言葉と同質のものを持つ言葉を見聞きした時には、やはり自分に響くものがあるのだ。

この三日間、資料を作成することや論文の提案書を作成することにほぼ全ての時間を使っていたように思う。絶えず自分の内側から生まれる言葉と向き合いながら仕事を進めていく中で、上記のようなことにふと気づいたのだ。

休日明けの明日からは、またいつものように文献を読みながら何かを考えるようなことをしたいと思う。とにかくこの三日間は文献と真剣に向き合うよりも、自分の中で言葉を探していく作業に費やされていたのだ。そうした作業の中、自分の言語世界の貧困さを痛感したのは間違いない。

言葉を使って表現できること以上に、言葉を使って表現できないことが無数に存在していることに唖然としたのである。今この瞬間に表現できないことを形にするための言葉は、どのようにすれば獲得できるのだろうか。自分が持ち合わせている既存の言葉を彫琢していくことも大事だと思うが、それだけでは明らかに不十分である。

言葉を鷲掴みにするような感性や言葉を噴出させるような感性が開かれていないことに問題があるのでないかと思った。そうした感性の通り道らしきものの姿を時折自分の中に見いだすことができる。あとは、その通り道をより確かなものにしていく手立てを見つけていくだけなのだが。

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