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425. 言葉の召喚作用と知識の体系化


ここ最近の私は、言葉が持つ召喚作用、すなわち何かを喚起するような力に沿って自己や対象を描写するようになっているように思う。内側や外側の現象を何か捉えたと思ったら、それを言葉にしてみる。すると興味深いことに、言葉の喚起作用によって当初予定していなかったものまで立ち現われ、それらをまた観察対象として言葉にしようとする連続的なサイクルが生じるのだ。

このサイクルは理論的には無限に続くものだが、実際的には当人のその時の状態と呼応するかのように、あるところで突如としてサイクルが収束に向かう。こうしたサイクルが静かな終りを告げると、その痕跡には変化の軌跡と自己の前進を発見することができる。

言葉を紡ぎ出し、その言葉が新たな現象を呼び起こす時、自己は新たな言葉に対応して自ら変化を遂げる。自己と言葉はまさに密接不可分な関係にあり、新たな言葉が生み出されると自己が新たなものに変貌するというのもうなづける。

言葉が新たな言葉を生み、自己が新たな自己を生み出すという変化の軌跡と自己の前進がそこにあるのだ。私たちの言葉には、これまでにない新たな言葉と新たな自己を生み出すような召喚力が内在的に備わっているというのは実に不思議だ。

また、こうしたサイクルを日々意識的に生み出し、毎日つぶさに観察をしてみると、小さなサイクルと大きなサイクルがあることに気づく。小さなサイクルは、発達科学の世界で言うところのミクロな発達である。ここでは、既存の言葉は確かに新たな言葉を生み出し、自己に新たな側面を付け加えるが、それらのどちらも既存のレベル構造の中で起こる現象である。

つまり、そこでは、既存の言葉を生み出していた階層と同じところから新たな言葉を創出し、同じ階層内で自己に新たな特質が追加されることになるのだ。一方、大きなサイクルは、発達科学の世界ではマクロな発達と呼ばれるような現象である。ここでは、既存のレベル構造とはまるっきり異なる構造が立ち現われ、その構造から新たな言葉を生み出し、自己に新たな側面を追加していくのである。

個人的には、小さなサイクルで生じる現象はよほど目を凝らしていないと気づきにくいものだと思う。一方、大きなサイクルで生じる変化も、実際のところは変化の只中ではそれに気づくことは難しい。むしろ、大きなサイクルが収束し、その結果を後々振り返ってみると、言葉を生み出す構造と自己が大いなる飛躍を遂げていたことに気づくような類いの現象である。

言葉の召喚作用という性質は、ダイナミックシステム理論で言うところの自己創出に他ならないことに気づかされる。これは以前にも取り上げたが、やはり言葉が新たな言葉を生み出し、それに伴って自己が新たな自己を生み出していくのである。

こうした自己創出的なシステム特性は、知識の形成過程においても当てはまるのではないかと思うに至った。私たちの知識は言葉と経験と結びついているため、言葉と自己が自己創出的な特徴を持って自己展開していくのであれば、知識もそのような形で自己展開し、徐々に大きな構築物を築き上げていくというのも納得がいく。

ただし経験上、言葉にせよ自己にせよ、そして知識にせよ、自己創出的な特性があるからといって、何もせずして構造的な大きな変化は生まれないということもわかっている。意識的な観察と鍛錬なくしては、同じ構造内での自己創出ループに絡めとられるだけであり、一段上の構造内で自己創出を行うことなどできないだろう。

今の私は、自分の知識体系を一段上の階層内で構築していく必要性に迫られており、見えないところで大きな負荷がかかっていることがわかる。ここ何日間も一般システム理論やダイナミックシステム理論に関する探究作業を続けているのだが、得られた知識を同じ階層内でしか活用することができていないことが手に取るようにわかる。

それと同時に、次の階層にたどり着くためには、この階層内を関連する膨大な知識で埋め尽くさなければならないことも直感的に把握している。知識の体系が上位構造のものに変容を遂げるためには、その構造ではもはや処理しきれないほどの大量の知識が集積され、集積された知識が複雑なネットワークとして結び合わされることが不可避に要求される。

今の私は、複雑なネットワークを構築するためのノード(結節点)となる膨大な知識が必要であり、またそれらを組み合わせて発動させるような鍛錬も同時に求められている。こうした新たな知識の体系化がなされた時、私の脳内も同様の変化を遂げているように思う。

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