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406. 科学的な言語と哲学的な言語


今日は「タレントディベロップメントと創造性の発達」というコースの第三回目のクラスがあった。本日のメイントピックは、スポールの領域に焦点を絞り、才能の発掘と開発に関する科学的なアプローチと研究成果を取り扱った。科学と哲学に関して昨夜はあれこれと考えさせられることがあったため、考えを整理し、気持ちを落ち着けてクラスに臨む必要があった。

本日のクラスを担当したのは、私の良きメンターでもあり友人でもあるプログラム長のルート・ハータイである。講義の全体を通じて、タレントディベロップメントに関するルートが持っている深い知識には頭が下がる思いであり、クラス内での質疑応答に関しても実に見事なものである。このコースの受講者は、そもそも修士課程以上の人たちであり、私が思うに、彼らは科学的な思考をする訓練を十分に積まれている。

彼らが質疑応答の中で用いる語彙や意味の作り方を観察していると、彼らの言語は科学者の思考の仕方を体現したものであると感じている。これは何も科学に関する難解な学術用語を使うということではなく——実際にそれほど難解な用語を彼らは用いているわけではない——、彼らの議論の組み立て方や質問の仕方の中に、科学者としての思考方法が色濃く現れているように思う。

確かに、フローニンゲン大学は研究大学であり、このコースが行なわれているプログラムも科学志向であるから、彼らのように具体的な事象を取り上げ、科学的な実証結果に基づいて議論を進めるというやり方には納得できる。科学の領域で研究者として活動していくためには、そうした議論の仕方や思考方法は必須の素養だということはわかる。

しかしながら、本日のクラスを通じて気づいたのは、彼らの言語と私の言語はどうも違う特徴を持っているのではないか、ということだ。お互いに共通して英語を話しているため、表面的には同じ言語を扱っているのだが、思考対象は随分と異なり、また意味の作り方や議論の仕方にも随分と違いがあると感じたのである。

おそらく私自身が、科学と哲学に関する双方のトレーニングが中途半端であるということや、実証結果を即座に参照して議論を進めるというよりも、実証結果の意味そのものを考えてから、その実証結果を抽象化させて議論を進めようとする自分の特性に起因しているのかもしれない。もちろん、実証結果の意味を掴み、それを抽象化させて議論の俎上に載せることは、多くの科学者が行っている思考方法だろう。

そのため、彼らの言語と自分の言語の違いは、やはり思考対象を哲学的な側面に向けるか科学的な側面に向けるかにあるような気がしている。これまでのクラスでは、「タレントディベロップメントと創造性の発達」という科学領域の中にある様々な理論や概念、そして実務の世界への応用方法などについて学んできた。

当然、それらの知識は私にとって非常に実りのあるものなのだが、「タレントディベロップメントと創造性の発達」という領域を哲学的な側面から捉えたいという強い思いが私の中で湧き上がっているのも事実である。こうした正直な気持ちに従って、哲学的な側面を探求するのと同時に、このコースでは科学的言語の習得に黙って励むことも重要になるだろう。

今日のクラスでは色々と発言しすぎたように思う。様々な言語と思考方法を磨いていく必要がある、と感じながら帰路に着いた。

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