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402. 純有機的な時の流れの中で


秋の深まるノーダープラントソン公園

クネン先生とのミーティングの後、自宅に戻って昼食をとり、いつものように20分ほど仮眠をとった。その日の自分の状態によって、仮眠中に起こる現象も様々であるから観察対象としては事欠かない。自分の身体エネルギーが白色かかった黄色い電流と共に一挙に活性化される現象は、一ヶ月に数回ほど訪れる。

この現象も実に特徴的なのだが、本日はそれとは一風趣の異なる現象を体験した。今日は仮眠から目覚める瞬間に、時間と場所の感覚が喪失し、この世界における自己の立脚点を定めてから再び日常世界に戻ることを迫られる、というような体験であった。常軌を逸した電流が身体に流れ込む体験と比べると、こちらの体験の方が頻度が高い。

この体験を経ると、仮眠中の意識のない自己の存在について考えを巡らせる、という作業が決まって生じる。この問題は、意識の有無と存在の有無に関するテーマと密接に関わっているため、取り掛かるのが非常に厄介である。実際に、今日もその問題に関してほとんど進展を見せず、窓から外の景色をぼんやりと眺めながら、無意識の領域に入り込んだ自己の存在について、その問題の外縁をなぞるように自分の考えがゆっくりと動いていた。

思考の旋回がひと段落着いたところで、何気なく、先日知り合った日本人の知人の方が今度話題として取り上げようと言っていた「バーンアウト(燃え尽き症候群)」について考えが飛び移っていた。日本において、バーンアウトの問題は、教育やスポーツ、そして企業社会などの様々な領域で目につく。

過度な詰め込み教育、過剰なトレーニング、異常なまでの労働時間などが引き金となって、様々な領域の多様な世代の中でバーンアウトの問題が見られる。これは一つの大きな社会問題だと思う。その方曰く、バーンアウトを一度経験してしまうと、元の状態に回復するのは極めて難しいそうである。

オランダでは、社会が一体となって、バーンアウトを人々に引き起こさないようにする思想と仕組みが存在している、ということを教えてもらい、日本社会と対比する形で今度ディスカッションをしよう、ということになっていた。

個人の発達や社会の発達について考えてみたとき、この問題は実に重要なテーマだと思うため、私の方でも少しずつこのテーマについて考えを深めていきたいと思う。オランダでの生活はまだ二ヶ月に満たないが、個人的な経験として、日本社会を取り囲む「時」の感覚質とオランダ社会を取り囲む「時」の感覚質が歴然と異なることは、この国に到着してすぐに気づいた。

オランダでは時間の流れの中に人工的な匂いがほとんどなく、純有機的に時が流れているのを感じるのだ。東京にいた時を振り返ってみると、東京でも純有機的な時の流れを感じることはできたのだが、その層にたどり着くまでにこちら側の意図的な努力が必要となるのである。

時間を無理に早めようとする人工的な時間装置を特定し、その装置の動きをこちら側が意識的に止めなければ純有機的な時の流れに入っていけないのが、東京にいた時の私の偽らざる感覚であった。私たちの時間を強引に進めようとするこうした時間装置の構成要素は多様だと考えており、今のところ何がそれらに該当するのかは定かではない。とにかく、そうした時間装置が存在しており、着色料の添加された時間を生み出しているという感覚に変わりはない。

フローニンゲン大学のプログラムが開始してすぐの頃、履修するべきコースの量が少ないのではないか、と思っていた。つまり、なぜこんなに一週間のスケジュールに余裕があるのか疑問だったのである。これならば二つの修士プログラムを同時に進めていくことも十分可能ではないか、と思ったほどである。

しかしすぐに気づいたのは、この背景にはオランダ社会が持つ独特のゆとり感覚の中で、私たちに密度の濃い学習を行うことを後押しする配慮が存在するのではないか、ということだった。純有機的な時の流れの中で、各々が各自の関心事項に沿って思う存分に探究活動に励むことを促す風土は、どこか日本の旧制高校のような雰囲気を思わせる。

私にとって、時がこのような濃い密度で有機的に流れることを味わうのは初めての経験であった。そうした時間感覚の中で自分の探究に取り組めることはとても贅沢なことであるため、ここで流れる時の中に不要なものを無理に詰め込みすぎないようにしようと思ったのだ。

東京で流れていた時間とフローニンゲンで流れる時間は歴然と異なったものとして知覚され、これは見間違えようのないものであるし、感じられないはずのない差である。確かに内側に流れる固有の時間に加え、外側に流れる時間が存在する。実は外側の時間にも様々な種類があり、それは外部環境と不可分に結びつく集合意識の時間感覚と密接に関係しあっているように思うのだ。

今私が感じている時間感覚は、私自身の内側の固有な時間感覚であるのと同時に、オランダという国が生み出す集合的な時間感覚でもあると思うのだ。このような純有機的な時間の流れがこの世界に存在するという事実は、学術探究の深度を左右する云々という話ではなく、人間の生き方そのものを根底から考えさせる類の話だと思うのだ。

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