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396. 自己探求と社会実践について


今日から少しずつ、発達科学の歴史と複雑性科学の歴史を結びつけるような作業に取り掛かっている。より具体的には、作業範囲を少し狭めて、構造的発達心理学の文脈の中にシステム理論の進展過程を捉えるということを行っている。

この作業を開始しようと思った直接的な理由は、もちろんながら現在の自分の探究活動を過去の科学的営為の中に正確に位置付けたいと思ったからである。

また、こうした自分の専門領域に関する歴史を探究していくことによって、自分の専門性をさらに開拓していくための視点や洞察が得られたりするのである。どんな専門領域にも固有の歴史が存在しており、その歴史を探究してくことに終わりはないのだが、私はとにかく自分の専門領域に関する歴史をゆっくりでいいので探究していきたいと思う。

この探究作業を進めるために、構造的発達心理学の歴史的変遷を掴むべくジェームズ・マーク・ボールドウィンの全集とジャン・ピアジェの全集を読み、システム理論の歴史的変遷を辿るべく一般システム理論や社会システム理論の古典を再度紐解くことを開始した。

この試みがどのような形で結実するのか、そしてそれがいつ頃一つのまとまりとして自分の中で体系的な知識となるのかは定かではないが、自分が望む作業であるがゆえに、それに従って作業を進めていくまでである。

構造的発達心理学の文脈の中にシステム理論の進展過程を捉えるという試みの全体感を把握したところで、知人の方に送っていただいた文章の続きを読み始めることにした。「十牛図」の配置を独自に変えていく中で、「自己探求の道と社会実践の道は一体のものである」という指摘がなされており、自分に当てはめて考えた時に色々と思うことがあった。

自己探求のみを進めるのでもなく、表面的な社会実践を行うのでもなく、両者を共に十分な幅と深度を持って遂行していく必要がある、と自分に言い聞かせるような日々がこのところ続いていた。自己探求を欠いた社会実践はどこか浅薄さの匂いが漂っており、単なる偽善活動のように私には思える。

一方、社会実践を欠いた自己探求は単なる自己閉塞であり、自己を肥大させることしかもたらさないと思っている。そうしたことからも、私たちに求められているのは継続的な自己探求と社会実践の両輪だと思うのだ。

自己探求には、自分自身を知るという意味に加え、私たちを取り巻く世界に対する理解を深めるという意味も含まれていると思う。私たちという存在は、自己を取り巻く世界に組み込まれ、それとの相互作用の中で生きているのだ。

思考や感情など、私たちの内側で湧き上がる諸々の現象は、取り巻く文化や社会と切り離すことはできず、それらと密接に関係しているのである。

そのため、自己探求を深めていく過程のどこかで必ず、自己が立脚する文化や社会に探求の目を向ける瞬間がやってくると思うのだ。その瞬間を見逃さず、自己を通じて取り巻く文化や社会を探求していくことによって、真の社会実践に耐えうる素養が徐々に獲得されていくのだと思う。

多くの哲学者が指摘するように、本来、私たちの知は実践と不可分なのである。実践の質を深めるためには、知の質を深めていく必要があるだろ。逆に、知の性質を深めていくためには、実践の質を深めていく必要もあるだろう。

いずれにせよ、自己探求と社会実践のどちらも蔑ろにすることなく、両方の実践に関与し続けていくことが今の自分には強く求められているのだと思った。

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