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388. 知識体系の土台作り


システム科学の諸々の理論体系と触れることによって、現在、知識の体系化について色々と考えさせられている。経験上、自分の知識基盤が脆弱だと感じられる時は、往々にして得られた知識を適切に体系化できていないことに問題があるように思う。

また、知識が体系化されていないと、結局のところ現場で使えるような力を発揮することができないのではないだろうか。実践力を伴った知識とは、体系化された知識だと思うのだ。そうした事情もあり、知識の体系化のプロセスとその方法について考えていたのである。

過去の哲学者も様々な形で知識の体系化について探究をしている。例えば、カントは「知識体系を構築する芸当は、建築物を構築することに喩えられる」と述べている。カントが述べるように、知識が体系化され、私たちの骨身になっていくプロセスは、建築物を構築することに似ているのである。

そうした建築物を構築するためには、兎にも角にも、まずは建物の材料となる知識が必要である。建築物を構築する資材となる知識がなければ、知識体系など構築しようがない。そのため、最初に行う必要があるのは、自分の専門領域に関する知識を——あわよくば周辺領域と合わせて——しっかりと獲得していく作業だろう。

元ハーバード大学教育大学院教授カート・フィッシャーが提唱したダイナミックスキル理論において、最も高度な知性段階はレベル12とされており、このレベルに到達するためには、最低限博士課程レベルの知的鍛錬が必要であると言われている。

言い換えると、博士課程で書き上げる学位論文と同様の文章執筆実践が必要であるということと同時に、博士号を授与されるにふさわしい知識量を獲得することによって初めて、フィッシャーのレベル尺度で言う12に到達するのだと思われる。

そうしたことからも、知識体系という建築物の高度を確保するためには、膨大な量の知識がまずは必要だと思う。そして、十分な知識量に到達したからといって、すぐに堅牢な建築物を構築できるわけではないことに注意が必要である。さらに、膨大な知識がそのまま自らの知識基盤になるわけではないことにも注意が必要だと思う。

膨大な量の知識を獲得した後に要求されるのは、強固な知識基盤を建築するために、獲得した知識をふるいにかけるという作業である。この作業は、知識基盤にふさわしい材料のみを残すような選別作業というイメージである。私もよく経験しているのが、論文や書籍で獲得された知識をそのまま活用しようと思っても、全く活用できないという現象である。

または、論文や書籍に記載されている情報をその形のまま取り込もうと思っても全く上手くいかないという現象である。こうした現象はある意味健全だと思っており、こうした現象が暗示しているのは、私たちは得られた情報を自分なりに解釈・加工し、自らの知識基盤を構築するのにふさわしい形に変形していくことが要求されているのではないか、ということである。

このところやたらと身近な現象を観察することによって、自分の考えを深めようとしている自分がいることに気づいていたが、これは日々の探究の中で得られた知識を身近な現象に適用して、その現象を説明していくことを促されていたのだと思う。あるいは、獲得された知識を自分に引きつけて再解釈することを促されていたのだと思う。

これらの実践を通じて、獲得された知識の不要な部分が削られていき、強固な基盤を構築するのにふさわしい真の材料だけが残っていくような感覚を持っている。このような真の建築資材を少しずつ獲得していくことによって初めて、徐々に知識体系の土台が出来上がってくるのではないだろうか。

知識基盤が構築されてからも、継続的に多様な知識を獲得していき、その知識を加工適用していくという実践を継続的に行う必要があるだろう。こうした実践を経ることによって、少しずつ高度な知識体系が構築されていくのだと思う。道のりは長く険しいが、気骨さを持って自分なりの建築物を作り上げていきたいと思う。

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