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367. 記憶の秩序体


昨日の正午、近所のスーパーに買い物に出かけた時、昼の盛りとは思えない柔らかな太陽光に私は包まれていた。緯度の高いオランダの太陽光は、これまで経験してきた太陽の光とは別種のものであると気づかされた。この太陽光は白昼夢を見ているかのような感覚を私に覚えさせる。

一匹の猫が木々の隙間から太陽を見つめている。木漏れ日がその猫に降り注いでいる。その猫は終始太陽の方向を見上げている。その猫が首を傾けているのと同じ角度で、私も空を見上げた。そこには雲一つない青空と柔らかな光を放つ太陽があった。真昼のはずなのに、真昼とは思えないような何とも不可思議な気持ちのまま買い物から自宅に帰ってきた。

そのような出来事があった翌日の今日、朝からまばらな雨が降っていた。なぜだか私は嬉しい気分になっていた。ここしばらく雨が降らない日が続いていたため、雨が恋しくなっていたのかもしれない。いや、そんなことはない。

ロサンゼルスに住んでいた一年間において雨などほとんど降らなかったが、雨が恋しくなることは決してなかった。どうやらそこには違う理由があるようであり、どうも昨日の白昼夢のような感覚を洗い流したい、というような思いが自分の中にあったからではないかと思ったのだ。

窓の外から空を見ると、西の方角には薄い雨雲がかかっており、東の方角には雲がそれほど多くない晴れを思わせる空が広がっている。しとしとと降り注ぐ雨は、私の心と身体にまとわりついていた柔らかな衣をゆっくりと脱がしていった。そのおかげで、再び現実世界に戻ってきたかのような感覚になり、雨にもかかわらず爽快な気分になったのだ。

そうした気分の中、また取り留めの無いことに思いを巡らせていた。特に今に限ったことではないのかもしれないが、それでもここ最近、過去の記憶を手繰り寄せることが非常に多くなってきている。過去の記憶を現在に折りたたみ、未来に向けて再構成するような運動が絶えず自分の中で起こっている気がするのだ。

そういえば、人間の発達において記憶がどのような作用を果たすのかについて、これまでそれほど関心を払ってこなかった。記憶というものが体験や経験と密接に関わっている以上、記憶が私たちの発達に果たす役割は大きいのではないだろうか。

もしかしたら、絶えず今を創造していくための素材として過去の記憶が必要になっているのかもしれないと思った。手繰り寄せることのできない記憶は抑圧されてしまったものなのか、それともすでに自己に統合されてしまったが故に思い出すことができないのか。

昨夜、記憶の貯蔵庫に降りていき、遡れるだけの記憶を全てゆっくりと呼び起こし、なるべく時間軸に沿った形で並べ替えようとした。しかし、その並び替えは上手くいったとはあまり言えず、時間が飛び飛びになった記憶をとりあえず大きな物語の中で位置づけていくことにした。

バラバラの記憶を一つの物語の中に位置付けることによって、記憶の秩序体が出来上がっていく感じがした。ダイナミックシステム理論の観点からすると、人間が発達する際には、必ず混沌とした状態から秩序を生み出す運動が見られる。

出来上がった記憶の秩序体は、どこか発達プロセスを象徴するもののように思えた。

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