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351. 経験の内的濾過と内的分化


各種の歓迎セレモニーが終わり、落ち着きを取り戻した日常に戻っている。明後日は、心理学の修士課程に在籍する生徒だけを対象にした説明会がある。フローニンゲン大学の心理学の修士課程は10個のサブプログラムから構成されており、各プログラムの入学者数は不明であるが、ここでも多くの生徒と知り合いになることができそうである。

私のようにダイナミックシステム理論と発達心理学の双方に関心を持って入学した人もいるであろうから、彼らとお互いに学びを深めていけることを楽しみにしている。全員の前で自己紹介をする機会があれば、学習仲間を募る意図も込めて自分の関心領域については明確に伝えておこうと思う。

プログラムの本格的な始動の前に再度自分に立ち返る時間を持つことができ、現在自分の中の様々な経験が揮発されたり濾過されたりしているのを実感している。これは非常に微細な感覚なのだが、着実と自分の中でそうした作業が進行しているようなのだ。

過去すでに経験したことのあるものや、今の自分には不要であるような経験が、私の意図を超えたところで判別作業が行われ、そうした経験は揮発されていく。ここが多分に謎であり興味深い点であるが、そうした判断を行っているのは意志的な自己ではなく、何やら自己を超えた存在のようなのだ。

液体が蒸発するのと同様に、自己の外に拡散していってしまう経験の行き先にも関心があるが、何よりも経験を揮発させる存在とその判断基準などは気になるところである。

一方、過去すでに経験したことであっても新たな意味を自分にもたらす経験や今の自分に必要な経験は、自分の中で濾過されていく。濾過された経験は、液体から不純物が除去されるのと同様に、自己の内側に純化したものとして徐々に定着していく。

これは以前取り上げた「言語による分節化(記事344)」の時にも言及したが、不純物の混じった経験と純正な経験に分別していく「内的濾過」という現象は、これも発達心理学の重要な概念である「分化(differentiation)」に該当するのではないだろうか。

言語による分節化の時に言及したのは、最も大雑把な役割において、言語は私たちと私たち以外のものを切り分ける働きを持っているということであった。実はこうした分化現象は、経験の中においても生じているように思うのだ。

何を媒介にしているのかは不明だが、ある経験を現在の自己に取り込むべきなのか・そうでないのかの切り分けが私たちの内側で起こっているように思うのだ。

これは「経験の内的分化」と呼んでいいかもしれない。より厳密には、自分の内側に取り入れらた純正な経験は、そこからさらに細かく分化していき、自己の存在の至る所に浸透していく。そうした経験の内的分化が起こり、自分の内側の様々な部分に浸透していくことがなければ、それ以上の内的成熟は起こらないと考えている。

というのも、内的成熟の鍵は自分の内側で経験の統合化(integration)が起こる必要があり、統合化が起きるためには統合に必要なだけの分化された経験が必要なのである。内的濾過を経て純化された経験がどんどん分化していき、それがあるとき統合化された時に内的成熟は起こる。

このようなことを考えながら、もしかしたらこうした考え方が、発達心理学者のハインツ・ワーナーが提唱した分化・統合理論の肝なのかもしれないと思った。

フローニンゲンの街について早くも一ヶ月が過ぎた。この一ヶ月を振り返ったとき、やはり今の自分は不純物を豊富に含んだ荒々しくかつ生々しい経験を十分取り入れるべき段階にあり、そうした多様な経験を濾過させることによって自分に定着させることが求められているのだと思う。

結局のところ、そうした分別作業の判断やどのような経験が自分の中で生じるのかということも私が介入できる範疇を超えているため、空気を噛み締めるような感覚に包まれているのだが、このようなプロセスを紆余曲折を経ながら進めていくことが意識の成熟過程なのだろう。2016/9/3

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