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333. 認知バイアスと意味のネットワーク


今日は早朝のランニングを済ませ、近所のスーパーに食料の買い足しに出かけた。欧州での生活を始めてから10年振りに、毎日テレビの電源を入れるようになった。就寝前の30分間に地方ニュースと世界情勢に関するニュースを見るようになったのである。

自宅のテレビでは世界情勢に関する情報を得ようと思っても、BBCを見ることができず、CNNしか見ることができない。オランダ人の英語が英国発音よりも米国発音に近いのは、テレビ番組で放映されている英語が米国発音のものが多いからなのかもしれないと思う。

私がCNNを見る時間帯は相変わらず、米国大統領選挙についての内容が多い。もう少し世界のその他のニュースについて知りたいのだが、BBCが見れないので仕方がない。その後、オランダの地方ニュースにチャンネルを切り替えると、フローニンゲンの街でもお馴染みの「ぬりかべ(記事279参照)」に関する事故が放送されていた。

ぬりかべが戻らなくなったのか、警告もなしにいきなり現れたのか、ニュースになっていたのだ。しかし、オランダ語がわからないので、結局そのどちらなのかはわからなかった。ニュースの合間にCMが流れ、近所にある “JUMBO”というスーパーの発音は「ユンボ」に近いことが判明した。

オランダ人があまりに大きいために、「ジャンボ」という思いを込みをしていたようだ。こうした認知バイアスは私たちの日常生活の至る所に潜んでいるのだろう。

今日は早朝のランニングを終え、食料の買い足しにそのユンボに出かけた。今日このスーパーを訪れる前に自分に固く誓っていたことがある。それは、スーパーの買い物の間中、終始一貫して英語を使わず、オランダ語を使うということであった。

スーパーの店員が何を話すのかはこれまでの経験を用いると、ほぼ全てパターン化することができていた。あとは、そのパターンの応答を英語ではなくオランダ語に変換させればいいだけだと考え、ランニングを終えた自宅で少しばかりオランダ語の復習をし、その足でスーパーへ出かけた。

スーパーへ行く途中、河川で釣りをしている親子を見かけた。本来であれば「何が釣れるのですか?」と声をかけたくなるのだが、これをオランダ語で表現することなど今の私には不可能であったため、何が釣れるのか非常に気になる気持ちを押させ、スーパーに向かった。

スーパーへ向かうまでは英語が頭を支配していたのだが、スーパーに到着後、オランダ語空間に思考を切り替えようとした。これは五年前に米国で生活を始めた時にも経験したのだが、ある得意な言語から不得意な言語に思考を切り替えると、思考空間が無になるか、もしくは非常に小さくなるのを感じるのだ。

スーパーに到着してオランダ語空間に思考を切り替えた時に起こったのもまさにそのような感じだった。買い物カートを受け取る入り口で、オランダ人のお年寄りの女性と譲り合いになり、英語を禁止していたためジェスチャーで「お先にどうぞ」と笑顔で示した。すると、そのお年寄りも笑顔になったところまでは良かったのだが、本来この状況であれば「どうもありがとう」で済むはずの応答を飛び超えて、そのお年寄りが笑顔でやたらと何かを私に話しかけてきたのだ。

結局、笑顔とジェスチャーという普遍言語でその場を乗り切ることになったが、得意な言語を活性化させないことの効用のようなものを少し掴み始めているのも確かだ。私たちは話し言葉でのコミュニケーションにおいて、相手の発話に対して常に推測を先々に働かせながら相手の会話を理解しているのではないだろうか。

つまり、認知空間の中に過去の経験によって構築された意味のネットワークが存在しており、相手からの何かしらの発言を受けると、そこに推測という働きかけが自発的に生じ、ネットワークの特定の部位が活性化され、相手の話が次々に理解できていくのではないか、ということである。

そう考えると、言語を用いたコミュニケーションにおいて相手の話を理解しようとするならば、一つには多様な経験を通じて意味のネットワークを豊かにしていくことが必要だろう。もう一つは推測能力を磨くことである。

どちらかというと、前者が言語的な知性を働かせることによって成し遂げられるものであるのに対して、後者は感覚的な知性を働かせることによって成し遂げられるものではないかと思っている。オランダ語という第二外国語を学び始めの私にとって、オランダ語に関する私の言語世界があまりに貧弱であるため、逆にその欠陥を補うかのように、感覚世界が鋭敏になっているのを日々感じるのだ。

日本人同士で日本語を話している時にも、私たちはこの感覚的な推測能力を活用しているのだが、それが母国語でのコミュニケーションであるがゆえに、普段それはほとんど意識されることはない。また英語に習熟すればするほど、英語で会話をしている時にも発揮されるそうした感覚的な推測能力の重要性も忘れがちになってしまう。

非英語圏に来て感じるのは、前頭前野という言語や思考を司る脳の部位が活性化されること以上に、「爬虫類脳」とも形容される脳幹などの動物的な感覚を司る脳の部位が多いに活性化されているのではなないか、ということだ。

そのようなことを考えていると、爬虫類脳を私以上に活性化させて、元気一杯にカートを引きずりながらスーパーを駆け回っている女の子と男の子が目に入った。すると、三歳ぐらいの弟の男の子が私の目の前で転んでしまった。そんなことをお構いなしに走り去る五歳ぐらいの姉。

カートから果物とペットボトルの飲み物がひっくり返り、その男の子は膝を少し擦りむいてしまったようで、泣き出しそうになっていた。居ても立っても居られなくなったので、カートからひっくり返ったものを元に戻してあげ、その男の子に声をかけようとした。この状況は間違いなく言葉が必要だと思ったが、オランダ語で声をかけることができなかっため、英語を解禁させることになった・・・。

どうやら英語が達者なオランダ人といえども、三歳の時はまだ英語教育を受けていないみたいであり、私の声掛けに対してその男の子はきょとんとしていた。そのため、最後に頭を撫でてあげると、泣きそうになっていた表情が消え去り、先ほどの元気一杯の表情に戻ったのだった。

最後にレジで会計を済ませる時が来た。この状況においてやり取りされるパターンは全て把握済みだと高を括っていたところ、新しい意外なパターンが出現した。オランダの全ての店がそうではないと思うのだが、このJUMBOというスーパーでは、なんと会計が全て四捨五入されるのだ。

日本円で言うところの、1円や5円を使う状況は現れず、10円以下は全て四捨五入されるのだ。最初このスーパーで買い物をした時、お釣りの計算が違うのではないかと思ったが、どうやら会計は四捨五入する仕組みらしいのだ。このような生活をしていて、オランダ人の計算力は落ちないのかと疑問に思った。

今回意外な新しいパターンだったというのは、いつもは四捨五入の切り捨てパターンだったが、今日は初めて切り上げのパターンが現れたのだ。先ほどの男の子の一件からは再びオランダ語に思考を切り替えていたので、一瞬戸惑ったが、無事に今日の買い物では大人に対しては全てオランダ語で乗り切ることができた。

しかし、オランダ語の壁は河川を架橋するあの「ぬりかべ」よりも遥かに高い。

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