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326. 再出発への意志


欧州小旅行を終え、オランダに戻ってきてから最初の日が始まった。改めて今回の小旅行を振り返ってみると、こんなに意義深く後味の悪い旅は生まれて初めてであった。逆に、これが旅をすることの本質なのかもしれないと思わされる。

とても不思議なのだが、自分は本当に旅に出たのかどうかもわからず、戻ってきたのかもわからないような感覚が自分の中に漂っているのだ。これは、自分がこの世界に存在しているのかもわからない状態で毎日を生きているような感覚と似ている。

パリからオランダへの帰りの汽車の中、自分の内側から外側へ向かって何かを吐き出したい感覚に掴まれていた。今回の旅を通じて異質なものをあまりに多く取り込みすぎたため、自分の精神が拒絶反応を示しているかのようであった。

生理的な吐き気と違うのは、この精神的な吐き気はその異物を容易く外側へ吐き出すことができないということにある。また、異物を決して外側へ吐き出すのではなく、それが自分の内側の深くへ深くへと沈殿していくまで待たなければならないという苦しみがある。

結局、私が旅を滅多にしない理由は、旅をすることによって取り憑かれた異質なものを消化するのに人一倍時間が必要だからだろう。そうした異質なものが自分の血肉となり骨身になり、自分自身になるまで次の旅へ出発することはできないのである。ある意味では、自分にとって異質なものが同質なものに向かっていく過程が始まることこそが、自分にとっての新たな出発なのである。

昨年日本という場所で生きていたが、とても生き難かったことは隠しようのない事実である。そして、今外国という場所で生きようとしているが、その生き難さには変わるところがほとんどない。自分はどこで生きればいいのか戸惑う中、結局、外側の世界で生きる場所を発見しようとしても、そんな場所は見つからない気がしてきているのだ。

自分自身が根底から変わり、内側の世界で生きる場所を築いていかなければ、このなんとも形容しがたい生き難さを払拭することなどできそうにない、という思いに至っている。ところが実際には、外側の世界でのこの生き難さを払拭するために、内側で生きる場所を構築していくことですらも、何らの解放を自分にもたらさないような気持ちがしていることも確かなのだ。

つまり、もはや内側の世界ですら今の自分は生きていけないと思わされているのだ。そうであれば、自分はどこで生きたらいいのだろうか。西洋の中にも東洋の中にも、外側にも内側にも生きる場所がないのであれば、どうすればいいのだろうか。そのような課題を私にぶつけてきたのが今回の旅なのである。

欧州各国を巡る中で、無限に、無限に、無限に広がる精神文化世界にただただ唖然とさせられていた。ドイツ語圏に足を踏み入れ、フランス語圏にも足を踏み入れ、オランダ語圏に戻ってきて、言語空間が異なり精神空間がこれほどまでに多様な世界が無限に広がりながらも濃密な関係性を構築していることを知り、恐ろしさを超越した畏怖心が芽生えたのである。

途轍もない所へ旅へ出かけてしまったし、途轍もない所で自分は再び精神生活を営んでいかなければならないことを知り、無限に広がる精神世界の中の一つの点として、コンパスの針を抜けないところまで深く差し込まなければならない、と思わされたのだ。この試みに失敗する時、自分という存在はこの世界から消滅してしまうだろう。

そうした思いの中、今の自分にとって唯一の拠り所は、私の中の奥底にある自分という存在を示すこの一点だということに気づかされた。この一点から再び出発をし、この一点から突破しなければならない。2016/8/23

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