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325. 欧州小旅行記総括:時の流れの感覚質と新たな出発へ向けて


いよいよ欧州小旅行を終え、パリから西回りでベルギーを通ってオランダに帰る。奇しくもこの旅の終わりは、リオ五輪の終焉と同じ日であった。

現在、この文章をオランダへ戻る列車の中で書いている。今回の旅を一言で総括するならば、非常に濃密な時間と感覚に包まれた旅であったということだ。

実際に、今回の旅は一週間ほどの小旅行であったにもかかわらず、少なく見積もっても一ヶ月ぐらいの時間が経過しているかのような感覚を私に引き起こしている。本来、充実した時間を過ごしている最中、時間は光のように素早く通過すると言われる。

しかしながら、今回の旅は私の時間感覚を止めてしまうかのような濃密さがあったのだ。もしかすると、人は真に充実した時間を過ごす時、時間の密度が究極的な地点まで凝縮し、時間感覚は消滅するのではないだろうか。

あるいは自分の内側の感覚が時間と完全なまでに合一するがゆえに、感覚即時間の状態に参入するのではないかと思われる。そうした状態にいる今の自分は、生まれて初めて時の流れを直接触っているかのようなのだ。

時の流れとはこんな感覚質を持っているものだとは知らなかった。ここまでくるともう、感覚と時間が合一していると表現することは正確ではなく、自分という存在そのものが時間の流れなのではないか、と思わされるのだ。

先週の今日、フローニンゲンを出発してライプチヒに向かっていたことが嘘のように思える。その後のシュツットガルト、ニューシャテル、パリへの訪問も、過去の中に閉じ込められたものではなく、常に今この瞬間の自分の中で生きているような感じがするのだ。

今回の旅で得られたことは多かったかもしれないし、少なかったかもしれない。どちらにせよ、旅で得られたことの量が問題なのではなく、自分の中で何かを深める契機になったことに掛け替えのない価値があるのだ。

車窓から見えるこの瞬間のオランダの天候と同じように、どこか重たいものが自分の中に入り込んでいるような感覚に今の自分は包まれている。今回の欧州小旅行で得られた経験を全て消化するには多くの時間がかかりそうである。

得られた経験を自分の深層にまで届かせ、それらがろ過されるのを辛抱強く待つ必要がありそうだ。いや、単純に多くの時間を待って過ごすだけではそれらの経験が消化されることは決してないだろう。

時の流れのあの感覚質を絶えず感じながら多くの時間をかけて待つ必要があるのだと思う。「感覚即時間即存在」の中で経験された事柄は、「感覚即時間即存在」の中でしか消化されえないと思うのだ。

リオ五輪という祭典も終わり、世界は再び日常に戻っていく。欧州小旅行もここで終わり、私も再び日常に戻っていく。

出発する決断をした者のみが、己を変容させる旅の苦味を経験できる。そして出発をした者のみが、経験の苦味を超えて、これまでいた場所とは違う自己の地点に帰還するのである。そんなことを思わせる旅であった。2016/8/22

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