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311. 欧州小旅行記:シューマン博物館で訪れた「確信」


ライプチヒ駅に到着した時、ブレーメンやハノーファーの駅に比べて、ひときわ巨大な空間がそこに広がっていることに驚いた。旧東ドイツの都市の中でも最大のものの一つに数えられるこの街の存在感を感じさせられたのだ。

なぜだがわからないが、たくさんのプラットフォームと併設されている無数の店を見たときに、ライプチヒ駅には少しばかりニューヨークのグランド・セントラレル駅を思わせるものがあったのだ。そのようなことを思いながらあたりを見渡していると、列車を待つプラットフォームで別れの時を惜しんでいるカップルがいた。同時に、子供を笑顔で送り出す一組の両親の姿が目に入った。

別れを惜しむカップルには、悲哀とは真逆の感情がそこにあるはずであるし、子供を笑顔で送り出す両親には、激励とは真逆の感情がそこにあるはずだろう。そうした錯綜とする感情の中を私たちは日々生きているのだ。

そうしたことを考えながら駅を後にし、ライプチヒの街に出てみると、そこにはこれまで訪れた世界のどの都市とも違う何かがあった。目の前に広がるライプチヒの都市空間に触れた時、まだ何も見ていないにもかかわらず、この街に来たことは正しい選択だったと心の底から思ったのだ。

この街が醸し出す雰囲気と同様の重厚な感動を胸に、私は真っ先にロベルト・シューマンとクララ・シューマンの旧邸である「シューマン博物館」に向かった。博物館の真横に設立されている小学校で無邪気に遊んでいる沢山の子供達を見て、私は温かい気持ちになった。

晴天に恵まれた涼しいライプチヒの風を感じながら、そして子供達が発する笑顔と清純なエネルギーをその場で感じながら、私はシューマン博物館の真ん前に立っていた。もうこの瞬間から自分の中でこみ上げてくる何かがあったのに気づいていた。

博物館とその音楽学校らしき建物はつながっており、楽器を持った小さな子供達が笑顔で私の目の前を駆けていく。その様子を見届けた私は、ロベルト・シューマンとクララ・シューマンが音楽活動に打ち込み、共に生活をしていた旧邸に足を踏み入れたのだった。

二階にある受付では、とても優しそうな表情をした初老の女性が出迎えてくれた。どうも英語が達者ではないらしく、時折笑いながらドイツ語を交え、館内について簡単に説明をしてくれた。

受付の女性:「ここはシューマン夫妻が実際に生活をしていた場所です。館内には二人にまつわる資料がいくつも所蔵されています。

:「そうなんですね、どうもありがとうございます。

受付の女性:「ほら、あそこにドアが開いているのが見えますか?あそこはシューマンが作曲活動に励んでいた仕事部屋なんです。

:「おぉ、それは是非ゆっくり見てみたいですね。

受付の女性:「ええ、ごゆっくりしていってください。

昼下がりのライプチヒの空から、シューマンの旧邸に淡い黄色の光が差し込んでいるのに気づいた。そこでは時が時ではない時のように流れていた。

シューマン夫妻に関する多数の資料をじっくりと見ている最中、小さな、しかし芯の入った感動が連続する波のように自分に押し寄せてくるのに気づいた。喜びを爆発させるような感動もあれば、静かに流れる感動もある。

だが、どちらの感動にも共通して、感動の真髄のようなものがあるだろう。まさにそうした感動の真髄のみが自分の中で止めどなく生起していたのだ。

ロベルト・シューマンが執筆した手書きの楽譜やメモを見たとき、肉筆の持つ凄みを感じた。人工的に作られたガラスケースから飛び出ようとせんばかりに、シューマンの手によって書かれた楽譜やメモが自分に大切なメッセージを伝えようとしているのがわかった。

その瞬間、私はこのところ薄々考えていた思いが確信に変貌したことを知った。「やはりそうだったのだ。究極的に突き詰められた個は普遍に至るのだ」という揺るぎのない確信であった。個的なものを突き詰めた先に生み出される作品は、いつか必ず永遠の相の下に普遍性を帯びるのだ。これは紛れもない事実であり、一つの究極的な真理であると思った。

少なくともこの考えは今の自分にとって、絶対に譲ることのできない確固とした確信であるということがわかった。個が普遍に行き着くということこそが、もしかしたら構造的発達心理学で言うところの、「トランスパーソナル段階(自己超越段階)」の真髄なのではないかと思わされた。

受付の女性に言われた通り、私は望むだけの時間を使って、シューマン夫妻が生活をしていたこの場所にただ静かにいたのである。帰り際、この初老の女性と少し長めの談笑をして、私は揺るぎない確固たる確信と共に、シューマン博物館を後にしたのだった。