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310. 欧州小旅行記:ライプチヒに向かって


ハノーファーの駅でライプチヒ行きの列車に乗り込んでしばらくしたところで、幾つかの想念と不可思議な感覚が湧き上がってきた。最初に現れたのは、自分がこの世界の中にいるのか・世界が自分の中にあるのか、という考えと感覚だった。

というのも、ハノーファーの駅を列車が出発し、駅構内で購入したコーヒーを一口すすった瞬間に、車窓から見える移りゆく景色に触発されて、自分がハノーファーという街の中にいるのか、ハノーファーという街が自分の中にあるのかわからなくなってしまったのだ。

自分がこの世界にいて、目の前を過ぎ去っていく景色を眺めているのでは決してなく、世界が自分の内側にあり、目の前を過ぎ去っていく景色が自分の中で立ち現れていくという感覚である。その時、この現実世界で現象として自分の内側に立ち現れるものは全て、自分に他ならないことを知った。

これを知った時、なぜだか自分の全てのものをこの世界と共有したいという想いが湧き上がってきたのだ。日々の生活の中で出会うものたち、自分の内側で生じる思考や感情などを含めて、文字どおり全てのものを世界と共有したいという想いである。

より正確には、世界と自分とのつながりから生まれた「自分」という全ての存在に対して、「共有」という名の下に再度存在の光を当てたいという想いなのだ。

これを私は強く望んでいるのかもしれない。そのため、毎日文章を綴っていることの理由の深層部分には、こうした共有への想いがあるからに他ならないのではないかと思ったのだ。

刻一刻と変化していく自分の心理とは裏腹に、ハノーファーからライプチヒに近づいてきても、景色が一向に変わる気配がない。裏を返すと、景色が一向に変わることがないように見えるのは、実は自分の心が変化していないからなのではないかと、と思い直した。

今目の前に広がる景色は、牧歌的なドイツの田園風景と形容してもいいだろう。そうした風景の中、遠くの方に中世あたりに建設されたと思われる立派な城が見えてきた。

私には建築物を見る眼というのが備わっておらず、建築物に関する知識が幾ばくかほどでもあれば、遠方に見えるこの城に対する見方も随分変わるのだろうなと思った。そうした思いと同時に、幼少期からの付き合いがある大工の親友の彼なら、こうしたヨーロッパの建物をどのように見るのだろうか?という思いも現れた。

きっと彼なら自分には見えない視点からこれらの建築物を捉え、きっと自分とは違う感じ方をしてこれらの歴史ある建築物を眺めるのだろう、と思った。いずれにせよ、今の自分にできることは建築物に関する知識を蓄えることはでは決してなく、自己を総動員した体験を通じて建築物を見る眼を養っていくことである。

そのようなことに思いを馳せていると、ハノーファーからの二時間半の列車の旅が終わり、ついにドイツ中東部にあるライプチヒに到着した。このライプチヒという街で、私はある一つの大きな確信を得ることになるとはこの時思ってもみなかったのである。

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