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302. 開かれたドアに向かって


フローニンゲンの新居に住み始めた頃、部屋のドア以外に、建物の中にそもそも入るためのドアがあり、そこのドアの閉め方がいまいちよくわからなかった。鍵穴に鍵を通して見ても、うまく閉まらないのだ。

このドアを閉めるために鍵が不要だと気付くのに三日かかった。どうやら鍵を差し込んでこのドアを閉めるのではなく、オートロックのようなのだ。

このドアの風貌がオートロックらしからぬものだったので大変紛らわしかった。ドアを閉めることに苦戦を強いられたことにより、人生において新たなドアを開けることの性質について考えていた。

これは私に限ったことではないと思うが、これまでの人生において幾度となく目の前のドアが閉ざされてきた。そのたびに落胆をしたり、自分の不甲斐なさを嘆いたり、様々な種類の感情と向き合わざるをえない状況に直面してきた。

ちょうど米国の大学院を卒業する間際に自分の望むような進路が閉ざされた時に、偶然ながらプログラム長のヴァニース先生と面談をする機会を得た。ちょうどそれは今から3年半前のことであった、と懐かしく思い出していた。

ヴァニース先生の部屋で一対一の面談をしたのは、ジョン・エフ・ケネディ大学に到着した最初の週に一回と、後はプログラムの途中のどこかで一回ぐらいであり、卒業間際のその面談を含めると三回ぐらいしかなかったと記憶している。

そうした限られた面談回数のせいもあるだろうが、とりわけ最後の面談で話した内容を鮮明に覚えている。その時の私は、米国の他の大学院に残って研究を継続させようと思っていた。しかしながら、その大学院から受け入れられることはなかったため、見通しのつかない自分の今後に対して暗澹たる気持ちのまま、ヴァニース先生との面談を迎えた。

その時は別に進路に関して相談をしようと思っていたわけではないが、私の表情を見て何かを察知したのだろうか、ヴァニース先生の方から今後に関する話を持ちかけてきたのだ。事の顛末を伝えると、「人生の中で一つのドアが閉ざされた時、必ず開かれるドアが現れるのよ。洋平の目の前には新たなドアが開かれているから大丈夫」という言葉をヴァニース先生はかけてくださった。

その言葉に私はひどく救われた気持ちになったことを今でも忘れていない。ヴァニース先生からの言葉かけがあるまで、私は閉ざされたドアしか見えておらず、あるドアが閉ざされることによってしか開かれえぬドアがあることを知らなかったのだ。

自分の人生において目の前に幾度となく閉ざされたドアが立ちふさがってきたことを思う。それでも私は歩き続けることを決してやめなかった。閉ざされたドアにぶつかった時、そこで呆然と立ち尽くすのではなく、歩き続けることが大事なのだ。

そうすれば、新たに開かれたドアがきっとどこかで自分を待ってくれているのだ。閉ざされたドアから開かれたドアへ。

新たに開かれたドアの先には、これまで見たことのない光景が広がっていることを信じて、これからも無数の閉じられたドアにぶつかり、新たなドアを開き続けていくのだろう。そのようにしか私は自分の人生を歩んでいくことができない。

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