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281. オランダに来てから変化する夢の質


この感覚はしばらく忘れていたのであるが、私は新しい環境に身を置くたびに、睡眠中の夢の質が大きく変わるのである。5年半ほど前に日本からアメリカに渡った時もそうであったし、昨年アメリカから日本に戻ってきた時も、環境を変えた直後の何日かは夢の質に変化が見られたのである。

オランダに来てから早いもので十日近く経つが、この期間に見た夢の特徴は二つある。一つ目は、イメージを生み出す無意識のより深いところに自己が沈んでいき、豪華絢爛かつ多様なイメージが知覚されるということである。

基本的に、通常期に見る私の夢は白黒なのだが、このところは、特に深い入眠に入る直前にサトル意識(subtle consciousness)に参入し、そこで色彩に富み、なおかつ無数のイメージが蠢くのを夢の中で知覚するのである。

私が初めてこの現象に出くわした時は、正直なところ、自分の意識世界の中で何が起こっているのか理解できず、一瞬驚いたのを覚えている。知覚されるイメージの変化速度はあまりにも速く、その変化の動きに認知的自己は付いていくことが全くできず、イメージを解釈する余裕などほとんどない。

自己にできることは、認知的自己の機能を緩め、尋常ではない速度で移り変わる無数のイメージをただただ眺めるだけなのである。イメージの流れに変更を加えようとしたり、意味的解釈を施そうとするのではなく、それらの千変万化する色彩の富んだイメージの大海に自己を預けることが賢明だ、ということに気づいた。

後々になってわかったが、ここで下手にイメージの世界に耽溺すると、禅で言うところの「魔境」に囚われることになる。こうした意識の状態変化は、意識進化の過程で必ず見られる通過的プロセスに過ぎないのだ。

夢の特徴の二つ目は、攻撃性である。通常期においても、3ヶ月に一度ぐらいのペースで、自分の攻撃性を爆発させるような夢を見るのであるが、オランダに来てからその頻度が高まっている。夢の中で攻撃性を放出するというのは、極めて重要かつ健全なことだと私は思う。

というのも、動物である人間として自己が本来備えている攻撃性を発揮する機会というのが、現代社会においては圧倒的に欠落しているように思えるからだ。言い換えると、本来、私たち人間には攻撃的(暴力的)な特性が不可避に備わっているにもかかわらず、私たちは現代社会においてそれらを過度に抑圧しているように思えるのだ。

思うに、代表的なものとして、突然キレ出すという現象は、まさに私たちが内在的な攻撃性を過度に抑圧した結果、それが思わぬ形で不健全に爆発してしまうことに起因しているのではないだろうか。

こうしたことを考えると、表面的には平静に思える現代の日本社会において、あるいは、平穏に思える現代社会にいるからこそ、私たちは自己の攻撃性と定期的に向き合い、それを解消し、自分は攻撃性を持った健全な人間であるという自覚と共に、攻撃性を再所有する必要があるように思うのだ。

フロイトが提唱するように、抑圧された感情との向き合い方の古典的な公式として、抑圧感情を特定し、それと向き合い、自己と切り離すことなく再所有することが重要である。

今回の話題で言えば、抑圧された攻撃性の存在を特定しないことやそれと向き合わないこと、そして攻撃性と自己を切り離すような事態に陥った場合、抑圧された攻撃性は思わぬところで暴れ出してしまうだろう。

そうならないためにも、上記の古典的な原則に従って、自己の攻撃性を再所有するところまで実践を推し進めていくことが大切になるのではないだろか。しかし、最も望ましいのは、こうしたワークよりも、例えば、武道を行うのでも良いし、激しい運動をするのでも良いし、攻撃性を文章や絵で表現するというように、実際に攻撃性を健全な形で自己表現することだと思うのだ。

私の場合、日頃の身体鍛錬の実践の中で攻撃性を放出するようなことを意図的に行っているし、文章の中で攻撃性を表現することもあるし、夢を通じて攻撃性を発散させている気がするのである。

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