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280. 現代社会で蔓延する新たな「肥満」


文筆家でもない限り、多くの人にとって「文章を書く」という行為は、なかなか厄介なものではないかと思う。自分の考えや思いを文章の形で表現する場合、なかなか筆が進まないということはよくあると思う。

なぜ「書く」という作業は厄介なのだろうか。それは、書くという行為が「考える」という実践を私たちに不可避に要求するからではないだろうか。つまり、書くという行為が億劫だというのは、自らの頭を用いて考えることが億劫だということに等しいのではないだろうか。

知的に怠惰な場合、書くという実践は相当億劫なものになると思ったのだ。しかし、この億劫さに打ち勝つことが己の鍛錬につながるのではないだろうか。

現在、私は日々の生活の中で湧き上がる自分の思念の塊を文章の形で残すようにしている。毎日、自分の内側で、形にならずにドロドロしている想念や感情のうねりを感じるのだ。それをそのまま放置しておくことは、精神的・身体的に不健全な状態をもたらすということを経験してしまったため、内側で未だ形にならずに蠢いているものを文章として捉えるという実践を継続させている。

興味深いもので、内側で生起する諸々のものに言葉を与えると、自分の内的世界に秩序がもたらされるような感覚になるのだ。これだけ複雑な現代社会を生きて行くことは、私たちの内側に必然的に混沌をもたらす。

混沌(カオス)状態というのは、実は発達の鍵となる。言い換えると、混沌状態がなければ発達は生み出されない、ということなのだ。しかし、ポイントになるのは、現在の状態が掻き乱される混沌状態を作った上で、新たな秩序状態を作っていくことが真の発達プロセスである、ということだ。

要するに、混沌としている状態のまま留まっていては発達は起こらず、自ら秩序を作っていくことが求められるのだ。この点において、「書く」という実践は、私たちの内側に秩序を生み出してくれる優れた実践の一つではないかと思う。

「書くことによって、考えや気持ちが整理された」というのは、まさに書くことが私たちに秩序をもたらしてくれるからではないだろうか。ダイナミックシステム理論の観点を用いて、さらに一歩考えを進めると、新たな秩序を形成することは、新たな混沌を形成することにつながるのではないかと思う。

つまり、現在の混沌とした状態に秩序をもたらすことによって、その瞬間には秩序状態が私たちの中で形成される。しかし、どうやら私たちは混沌の状態においては秩序を好み、秩序の状態においては混沌を好むという逆説的な特性を内在的に持っているような気がしている。

そのため、新たに秩序状態が形成されると、私たちは再び混沌状態へ自己を導いていくような動きを見せるのではないだろうか。そう考えると、混沌と秩序の絶え間ないサイクルを創出することが、発達の要諦なのかもしれない。

そのようなことを考えながら、私のこれまでの探究には、やはり書くという行為が圧倒的に不足しており、混沌と秩序のサイクルがうまく回っていなかったと反省している。実際に、探究時間のほとんどは書くことではなく、読むことに充てられていたことに気づかされたのだ。

一言で述べると、私は書くというアウトプットが不足した「情報肥満」に陥っていたのだ。もしかすると、これは私のみならず、多くの人にも当てはまるのかもしれない。

情報技術がこれだけ発達した現代社会において、多くの人の内側には情報や体験が脂肪のように溜まっているのではないだろうか。これは、現代人固有の「情報肥満」や「体験肥満」と名付けて良い病理かもしれない。

現代人は半ば脅迫的に金銭を溜め込むことに邁進しているのみならず、情報や体験までも自分の内側に溜め込むことに躍起になっている気がするのだ。そこには、情報や体験を咀嚼し、自らに血肉化しようとするような試みはほとんど見られない。

その結果として、「情報肥満」や「体験肥満」を患うのだ。こうした肥満現象は、精神的・身体的な変調を引き起こすことにも結びついているのかもしれないと推察している。少なくとも直感的に確かなことは、情報肥満や体験肥満を患っている場合、意識が高みに至ることや特定の能力が高みに至ることはないということだ。

得られた情報や体験を混沌のまま放置せず、いったん秩序化を行うということがポイントになるのであって、秩序化の方法は書くことに限らず、音楽や絵画として表現しても良いと思うのだ。

しかしながら一般的に、音楽や絵画として形にするよりも、書くという行為の方が実践しやすいのではないだろか。そうした意味で、「書く」という実践をお勧めしたい。

ここ最近確かな感覚に変わりつつあるが、日頃から文章を執筆する習慣のある人を見ていると、その人の実際の文章しかり、その人の発言しかり、ほとんど無駄がなく肉体美のようなものが宿っているのである。

一方、文章を書くことに億劫であり、情報や体験を溜めるだけの人たちの文章や発言には、ギトギトとした脂の乗った鈍重なものを感じるのである。

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