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267. 出発前日の朝


昨日まで床に散らばっていたダンボール全てが無事に搬出された。文字どおり、もぬけの殻の状態になった部屋全体を眺めて、いよいよ出発の日が明日に控えていることを強く実感する。

空っぽの部屋にたたずみながら、自分の中の全てがリセットされたような感覚に陥った。慣れ親しんだ家から離れる日というのは、どこか寂しげな喪失感と、どこか楽しげな期待感の入り混じったような気持ちになるのが不思議ある。

そうした気持ちと、全てがリセットされた感覚を十分に感じ切ること、それは新天地へ行くために必要な精神的儀式なのだと思う。私はこれまで冠婚葬祭や入学式・卒業式といった類の存在意義をなかなか見出すことができなかった。

しかし、これらの式と呼ばれるものは、そこに大きな精神的作用が働くという点において多大な意味があると思うようになった。こうした式の前後で、精神的変容や精神的治癒を促す働きが起こっていると思うのだ。

それゆえに、私は冠婚葬祭や入学式・卒業式といった儀式の中に、精神的作用をもたらす大きな意義を見出すようになったのだ。特にこれからは、そうした儀式を大切にしようと思う。

そうこうしている内に、二つの大きなスーツケースまで搬出された。機内持ち込み用の小さなスーツケース一つが部屋の中に置かれている。たった一つのスーツケースなのに、ひときわ強い存在感を放っている。

そして私は、引っ越し準備に際して出てきた諸々の不要物をごみ捨て場に持って行った。そうだった。自分がこの一年間お世話になったマンスリーマンションは、美術館と音楽館の中で生活しているような空間を提供してくれていたのだった。

マンションの廊下には無数の絵画作品が飾られており、館内はいつでも心地よいクラシック音楽を流してくれていたのだった。この一年間、外出する際、そして帰宅する際にいつもこれらの絵画や音楽に包まれていた自分がいたのだった。

ごみ捨て場に向かう最中、この一年間の中で最も丁寧に絵画作品を見て回り、流れてくるクラシック音楽にゆっくりと耳を傾けていた。全てがリセットされた自分の中に、目の前に存在する絵画と音楽が具現化させている美が流れ込んできた。

美とはこういうものなのだ。芸術とはこういうものなのだ。人に対してこのような働きかけをしてくれるものなのだ、と思った。

ごみ捨て場に不要物をゆっくりと置いた。見上げた早朝の東京の空は、昨日と変わらないような広大な空であるのと同時に、全く新しい空だった。2016/7/31朝

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