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266. 没頭する存在を常に仰ぎ見て

July 31, 2016

 

先ほど、日本での最後のランニングを終えた。自宅のドアを開ける前から、このランニングは日本での最後のものになるとわかっていたため、走る一歩一歩に感慨深いものが込められていた。

 

そこに寂寥感はなく、この一年間において自分を見守ってくれたこの土地に対する感謝の念しかなかったように思う。走るペースもコースも全てこれまで通りであった。日常の中に絶えず非日常を見出し、非日常の中に絶えず日常を見出すこと。

 

それが私の生き方の一つとして定着しているのを実感する。今日のこの最後のランニングも、まさにその生き方が体現されたものだったように思う。

 

ランニングの際に必ず立ち寄る神社でお参りを済ませる。神社の敷地を出た瞬間に、燦然と輝く夏の太陽を仰ぎ見た。

 

これは先日実家に帰省した時にも思ったことであるが、私は幼少時代から常に両親の存在を仰ぎ見ていたのだ。全てはあの時に決まっていた、と言っても過言ではないのかもしれない。

 

私は帰省中においても、日々の実践活動の中身を変えることはなく、早朝真っ先に手本とする学術論文を筆写する。裏紙に小さくびっしりと書かれた英語を不思議そうに眺める母。そして、小さな文字で綴られた私のノートを見て母は「ダヴィンチのノートみたいね」と笑っていた。

 

自分の探究分野に関して、日々の実践から得られた気づきや考えをノートに書き残すというのは、実は母から学んだことなのかもしれないと思った。私が幼い頃、製菓の専門資格を取得するために勉強に打ち込む母の姿を見ていたし、後年になって母が習い出したフラダンスに関しても、日々の実践から得られた気づきや考えが母のノートに詳細に書き込まれているのを発見したことがある。

 

そして、昨年から母は数十年振りにピアノを習い始め、楽譜に書き込まれたメモや音楽ノートは、私のノートと似ているところがあるのだ。そして母のみならず、私の父も没頭癖があるのだ。

 

大企業に勤める傍ら、帰宅後や週末に絵画作品を描く父を小さい頃ずっとそばで見てきた。プロ並みの技術を持つ父の絵が絵本になったり、画廊で飾られているのをこれまで見てきた。

 

絵画のみならず、現在は詩や短歌にも凝っており、「5・7・5の俳句は即興的に作ることができても、5・7・5・7・7になると表現の幅が格段に広がり、なかなかすぐには作れない」ということを、外食後の散歩中に父が述べていた。

 

そして突然足を止め、綺麗に咲いているヒマワリにおもむろに近寄って写真を撮り始める父。そんな父も再び新たな創作活動に向けて本格的に動き出すようである。

 

60歳に近づいている両親が再び没頭できる探究対象を見つけたようなのだ。いや、おそらく両親はこれまでもずっと何らかの探究活動に励んでいたのだ。結局のところ、私のこれまでの人生において、常に何かに没頭する存在が身近にいたのである。

 

今回のオランダ行きも、今後の人生における私の探究活動も、その根幹のエネルギーは幼少期に決まっていたのではないかと思わされる。それゆえに、何かに没頭する途轍もないエネルギーを持った両親の存在は、私にとって格別なのである。2016/7/29

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