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265.「ダッタン人の踊り」と知性が育まれる場


そこでしか育まれえぬものがある。その環境でしか獲得されえぬものがある。最近、そのようなことを強く思う。

昨日、近所の神社を訪れた時に、夏の暑い気温からは信じられないほどの涼しい風が境内を吹き抜け、私はそれを全身で受け止めた。思わず立ち止まらずにはいられなくなり、その場にたたずんで大きな鳥居と神社を取り囲む環境が生み出す景観に見入っていた。

清々しく吹き抜けたその風と、神社と周りの環境が織り成すこの景観美は、ここでしか感じられえぬものだと思った。

皆さんは、アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)というロシアの作曲家をご存知だろうか。私はこの東欧出身の作曲家と昨年偶然出会った。

すべての出会いは偶然であり、思いがけないものである。昨年、ロサンゼルスから日本へ帰国する際のフライトの中で、ボロディンの代表作「ダッタン人の踊り」と出会った。最初にこの曲を聴いた時、その躍動感と力強さに圧倒されたのを覚えている。

ボロディンはロシア出身であるということを曲の解説で聞いた時、確かにこの曲はフランスやドイツという自然環境では生まれてこないであろう作品だと思った。この曲はフランスで生まれてくるような耽美さを兼ね備えた曲ではないかもしれないし、ドイツで生まれてくるような荘厳さを兼ね備えた曲ではないかもしれない。

しかしながら、この曲は紛れもなくロシアの自然環境によってしか創出されえぬ作品だと思ったのだ。私はクラシック音楽に明るいわけではなく、ロシアを実際に訪れたこともないので直感的な印象に過ぎないが、ロシアの深い森が辺り一面を激しい雪で覆われ、雪解け後の森を駆け抜けたその先に広がる大草原の中で、歓喜に溢れた踊りを踊っているようなイメージがこの曲から感じられるのである。

ダッタン人の踊り」というこの曲は、そうした意味で実にロシア的な香りがするのである。そのようなことを感じながら、曲の解説にさらに耳を傾けていると、驚くべきことを知った。

なんとボロディンの本職は、作曲家ではなく、化学者であり医者だったのだ。ボロディンが作曲を始めたのは、ロシアの作曲家ミリイ・バラキレフ(1837-1910)と出会った30歳の時である。

これまで正式に作曲を学んだことがなく、30歳から作曲を開始してもこのような曲が生み出せてしまうボロディンの才能に敬意を表したし、同時に励まされるものがあったのは確かである。20代後半から絵を描き始めたヴァン・ゴッホと同じように、ボロディンの生き方は新たな挑戦を始めようとする私を大いに鼓舞してくれたのだった。

この記憶に付随して、また別の記憶が芋づる式に想起された。それは、幼少時代に私が生き物を飼っていた記憶である。

多くの子供と同様に、私も金魚やカブトムシを飼ったことがある。少し変わったところでいうと、カナヘビという小さくで可愛らしいトカゲを飼っていたことだろうか。

これらの生き物は全て短命であった。正確には、私が飼うことによってそれらの生き物の命を短命にしてしまったのだと思う。

彼らが本来生活する調和のとれた自然環境から彼らを切り離し、人工的なカゴの中で生活することを強制してしまったがゆえに、彼らの生命運動は乱れてしまったのだと今になって思うのだ。生命が健全に育まれる場というものが存在し、その場を人工的に作り上げることはいかに難しいかを思い知らされた。

最近、人間の知性というのは生命とほぼ同じものなのではないかと思っている。つまり、知性の運動と命の運動は限りなく等しいと思うのだ。そのようなことを考えてみると、現代社会、特に大都市の環境というのは、人間の知性を深く豊かに育んでいくのにあまりふさわしくないのではないかと思う。

知性が豊かに躍動する場がどこか均一化してしまっている感じなのだ。あるいは、知性を育む場が量的拡大の発想によって汚染されているような印象を強く持つ。量的な拡大や効率性を追求しようとする場の中では決して獲得されえぬものがあるし、育まれえぬものがあるのだ。

知性の陶冶に場が果たす役割は極めて大きい。オランダでの重要な探究テーマは、ダイナミックシステム理論の観点から知性が育まれる場の特徴やその生成過程について考察を深め、知性が深く豊かに育まれる場の構築方法を確立していくことにある。2016/7/16

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