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260. 不思議な夢とデカルト


今朝、不思議な夢を見た。『魔の山』の作者として有名なトーマス・マンの時間論の観点から人間の発達を捉え直す必要がある、ということをつぶやいている自分が夢の中に出てきた。そもそも、このドイツ人の小説家が時間論を展開していたかどうか定かではなく、どうやら複数の記憶と自分の現在の関心事項が混じり合い、このような夢を見たのだと思う。

先日実家に送った書籍の中に、辻邦生先生の『トーマス・マン』という評論集があったということ、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に関して辻先生が時間論について何か書かれていたということ、人間の発達に関する理解をさらに深めるためには、時間という概念を考察する必要があるという自分の思いが混じり合って生成した夢のようだった。

錯綜した記憶であったとしても、トーマス・マンの時間論の観点から人間の発達について考えようとしていたのは事実である。夢の中でそのテーマについて歩きながら考えていると、街中で名古屋に関するクイズ企画が開催されていた。

確かにこれまで名古屋にクライアント企業が二社ほどあったが、私は名古屋にそれほど精通しているとは思えない。それにもかかわらず、クイズ企画に群がる人たちの中にいた一人の中年男性と協力して、出題された三問のクイズに対して即座に解答することができたのだ。出題者の方が裏で解答を再度読み上げることを私に要求してきたが、中年男性が協力してくれた最後の問題の名古屋の地名を読むことができなかった。 

しかし、クイズ企画に群がる人たちの盛大な拍手によって、それらしい読み方でその地名を読み上げると事なきを得た。その様子を見ていた中年男性は笑顔のままその場を立ち去り、私はクイズの企画者から景品を手渡された。

結局、景品の中身もわからないままそれは手元から姿を消し、先ほど歩きながら考えていた人間の発達と時間に関する考察もまた一からやり直しとなった。そこで目が覚めた。

今日は国際心理学会議(ICP2016)の発表当日なのだが、目が覚めた時、発表についてよりもデカルトについて気になっていた。カート・フィッシャーの論文においても、デカルト的発想に基づいた発達思想は、近年の実証研究の成果によって過去の遺物になっているという指摘がある。

また、多くの哲学書や科学書の中においても、デカルト的な主客二分の発想や方法論は問題があると指摘されている。これまでの私は、確かにそうしたデカルトの発想に疑問を呈していたし、それゆえにデカルトについて探究しようという気持ちも起こらなかった。

しかしながら、デカルト研究の大家でもある森有正先生の書籍を読んでみると、世間一般で表面的に語られるデカルトの発想とは次元を異にする深い思索がデカルトの中に流れていたことに気づかされた。こうしたことから、デカルトを自分の手で理解していこうと思った瞬間、デカルトの生き方に関して思わぬ記述を発見した。

デカルトは32歳から晩年にかけて、オランダで隠棲生活を送っていたことを知った。デカルトは単純に世を捨てたのでは決してなく、己の哲学的探究と自己開発のためには絶対的な孤独が必要であるという強い自覚と、そうした探究から得られた思索の成果を書物として世に問うことによって、世の福祉に貢献しようとする強い思いがあったことに感銘を受けた。

デカルトがオランダに移住した年齢は、私の今の年齢と近いものがあるし、デカルトが追求した上記の生き方はまさに自分が遂行しようと決心していた生き方に他ならないことに驚かされ、強い共感の念を持った。

デカルトから受けた激励と彼に対する共感の念を持って、これから横浜で開催される国際心理学会議に向かおうと思う。2016/7/29

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