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259. 辻邦生「春の戴冠・嵯峨野明月記」展覧会

日本で済ませておくべき全ての手続きを終え、荷造りも無事に目処が立った。渡欧準備を着実に進めてきた理由としては、横浜で開催される国際心理学会議(ICP2016)が控えていたということに加え、日本にいる間に辻邦生先生の展覧会に是非参加したかったからだ。

7/15(金)から8/12(金)にかけて、学習院大学の史料館にて、辻先生の展覧会が開催されるということを知って、渡欧前に必ず足を運びたいと思っていた。東京には10年以上住んでいたことになるが、学習院大学がある目白駅に降りたことはこれまで一度もなく、学習院大学に行くのも初めてであった。

どんな場所であれ、これまで訪れたことのない場所に降り立った瞬間、実に新鮮な感覚が自分の内側を流れるものである。目白駅からすぐ近くにある学習院大学の敷地に入った時、この大学が醸し出す落ち着いた雰囲気に驚かされるとともに、心地よい気持ちになった。

辻先生の展覧会が開催されている史料館までゆっくりと景色を眺めなら——「迷いながら」という表現が正確かもしれない——散歩していた。部活動に打ち込む学生や図書館で熱心に書物を読む学生の姿が見える。ゼミナールであろうか、ある教室内で一人の教授と少数の生徒がディスカッションをしている姿が見える。

こうした光景を静かに眺めながら、自分も数カ月以内に再びアカデミアに戻り、読みたい書籍や論文をひたすら読み、師事したい教授から教えを請うことができるのだ、ということに意識が向かった。探究したいことに専心し、思う存分に学ぶことができるというのは実に贅沢なことだと思った。

まだフローニンゲン大学に到着していないのだが、すでに贅沢な気持ちを味わいながら、目的の史料館に到着した。史料館で展示されている一つ一つの資料をじっくりと眺めながら、改めて辻先生の思想と生き方に多大な感銘を受けた。

辻先生、森有正先生、井筒俊彦先生といった日本を代表する碩学に対して失礼にあたるかもしれないが、彼らの霊感と自分の霊感はほぼ同一のものだと感じている。彼らが持っている特殊な霊感と自分の霊感が同種のものでなければ、私は彼らの仕事からこれほどまでに精神を高揚されることはないはずである。

この三人が残した仕事には彼らの霊感が凝縮かつ表出しており、私の魂を震撼かつ共鳴させてくれる力が込められているのである。この展覧会は辻先生に関するものであるから、辻先生に話を限定すると、私は辻先生の文学作品そのものに感銘を受けたわけでは決してないのだ。

先生が残した文学作品そのものではなく、その作品に込められた思想やエネルギー、作品を完成させるまでの先生の生き様の中に私の心を強く打つものがあるのだ。その証拠として、私は辻先生の文学作品を幾つか所持しているが、作品を読むことができないのだ。

幼少時代からのことであるが、私は物語を読みこなすための知性が欠落しており、文学作品は最初と最後のページを何とか読み通すことができるだけであり、途中のページを読むことが全くできないのだ。辻先生の「夏の砦」「西行花伝」「異国から」にせよ、作品全てを丹念に読むことはできず、パラパラと眺めることしかできないのだ。

ただし、丹念に読み込んでいるものがあるとすれば、それは辻先生が残した数々の日記である。私は、辻先生の文学作品からというよりも、先生の思想や生き様がより色濃く反映された日記から多大な影響を受けてきたのだ。

史料館に展示されている資料の中で、私が食い入るように眺めていたのは、先生が書き残していた日記類である。どのようなノートに、どのような筆記用具で、どのような字体で、どのような内容を、どれほどの分量で書き残していたのかをじっくり観察していた。

書きながら考える、考えながら書くという姿勢以上に、書くことによって自らの霊感を召喚させ、個的な美を普遍的な美に昇華させようとする表現者としての先生のあり方に、一番感銘を受けているのかもしれないと思った。

最後に、なんと今年の11/8から11/12の期間にパリで先生の展覧会が開催されるそうだ。1957年から1961年にかけての渡仏を始めとして、その後も日本とフランスを往復するような生活を送っておられた先生にとって、フランスという国とパリという街が持つ意味は非常に大きいと思われる。

そのパリで開催される先生の海外初の展覧会に是非足を運んでみたいと思う。会場はパリ日本文化会館だ。

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