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256. 書物


——偉大な書物は我々を超えたところへ、我々を呼ぶ。我々を超えたところへ、我々を連れていく——ケン・ウィルバー

フローニンゲンの街での生活拠点が最終的に決定し、引越しの準備を着々とすすめている。引越しの準備とは言っても、私の場合は蔵書の選別だけをすればほぼ準備が完了したことになる。

実家に送る書籍とオランダに送る書籍を無事に分別し終えた。分別作業の時に、毎回手持ちの書籍の全てに目を通すようにしている。その本の目次をまず眺め、気になる箇所があれば中身を簡単に確認する。そして最後に、本文全体にざっと目を通す。

そのような作業をしながら、自分はその本からこれまでどのようなことを学んだのかについて思いを巡らせる。大学時代と社会人時代に購入した書籍は現在手元になく、手元にあるのはジョン・エフ・ケネディ大学に留学してからの書籍が主である。

手元にある書籍を確認するというのは、私にとって引越しに際する通過儀礼のようなものであるが、今回も様々な発見があった。改めて気づかされたのは、書物は繰り返し読むことに意義があり、同じ書物を繰り返し読む場合であっても、自分の成熟に応じて新たなことを開示してくれる、ということだ。

別の言い方をすると、内的な成熟度会いに応じて、過去に読んだことのある書物は新たな意味と新たな経験を私の中で開いてくれるのだ。もちろん、すべての書物がこうした働きを持っているわけではないことにも気づかされる。

確かに、以前読んだ本を再読すると、どのような書籍でも記憶から抜け漏れていた知識があるため、それを確認することにも多少なりとも有益性があるかもしれない。しかし、抜け漏れていた知識を単に確認することは、書物を再読する真の意義ではないと思うに至っている。

そうした知識の確認作業にしか耐えることができなくなった書籍はオランダへは持っていかないように決断を下した。私にとって、そばに置いておきたい書籍は、自分の発達に応じて新たな意味と経験を開示してくれるものであるし、「内的促しを促す」本たちである。

少しばかり表現が難しいが、内的促しを促す書籍というのは、私たちの発達を直接的に促すものではない。それらは発達の原動力となる内側の働きを刺激する触媒のような書物なのだ。

そのようなことを思いながら、部屋の床に散らばった分別後の書物を眺めてみる。自分よりも高次の発達段階の世界を適切に認識できないのと同様に、自分よりも高次の認識世界で構築された書物を正しく読み解くことはできない。

結局、その人の発達段階の範疇でしか書籍から意味を汲み取ることはできないのだ。だからこそ、自分の成熟に応じて何度も同じ書物を読むことに意味があるように思う。

その書物を理解できない理由が知識の不足という水平的成長の問題なのか、発達段階の劣後という垂直的成長の問題なのかを確認しながら、一つの書物と向き合い、水平・垂直双方の成長を確かめながら何度も繰り返しその書物を読んでみるのもいいかもしれない。

内的促しを促してくれる優れた書物に出会うための条件は、やはり自らの内面を深めていくことにあるように思う。また逆に、自らの内面を深めるために優れた書物が必要になるとも思うのだ。

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