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252. 場所と時間、時間と場所


久しぶりに山口県の実家に戻ってきて以来、非日常的な意識状態の中にいる。バルコニーから眺めることのできる瀬戸内海と松林は、この特殊な意識状態をさらに深める働きをしてくれているようだ。

興味深く思うのは、こうした意識状態でなければ考えられないテーマや感じられないことがあるということである。人間の意識を探究している者にとってみれば、当たり前と言えば当たり前なのだろうが、私たちの思考や感情は意識の状態に大きく左右されるということを、現在進行中の体験の中で今強く実感している。

そもそも、ここでの時の流れは都会と違うのである。緩やかに、そして静かに流れるこの時間になんとも言えない落ち着きを覚えるのは、普段の都会生活の中では緊張を強いられる特殊な時間が流れているからかもしれないと思った。

普段、都会で生活をする私たちは、機械的な匂いのする人工的な時間の流れの中に組み込まれているのではなかろうかと思わされる。そう考えると、もしかしたら今私が体験している意識状態が本来あるべき日常的なものなのであって、東京での意識状態は異常なのかもしれないと思う。

見渡している瀬戸内海の遠方に、大型のタンカーが浮かんでいるのが見える。近くで見れば、そのタンカーはもの凄い速度で動いているのだろう。だが、遠くから見ると、その動きはとてもゆったりとしている。

広大な海の上を進むタンカーを見ていていつも驚かされるのは、その速度がいかに遅いように見えても、それは着実に目的地へ向かい、いつの間にか途轍もない距離を移動しているというその事実である。これは人間の発達においても当てはまることだろう。

発達の最中にある当人は自分の身に起こっている発達現象に気づかないものであるし、それは端から見ている他人でも気づきにくいものである。しかし、海の上を進む船のように、発達は常に現在進行形で起こっているものなのだ。

時間が経ってみて、ある時ふと、自分が大きな発達を遂げていたことに気づいたり、他者がそれに気づいたりするのである。海は海に固有の時間を包摂し、船は船に固有の時間を包摂している。それらの時間が絶妙に融和して初めて、一つの調和のとれた時間が生み出され、海は船を動かし、船は海を動かすのだ。

場所は固有の時間を作り出し、時間は固有の場所を作り出す。場所と時間の相互作用の中に、私たちという存在は生かされている(活かされている)のだと思う。

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