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247. 幸福時間場所存在


あるマンションのベランダで、お母さんが赤ちゃんを抱っこして優しく揺すりながら外の景色を笑顔で眺めている姿が、乗車している新幹線の窓から見えた。その瞬間、私は幸福な気持ちになった。

幸せそうな親子を見ている私が幸せな気持ちになるということ。それは、他者の幸福と自分の幸福が合致したことを示す瞬間であった。

不必要な緊張を強いる都会生活を営むために過剰に構築した他者と自己との間にある境界線が弛緩した時、人間が本来持っている間主観的な健全な感覚が回復したように感じた。境界線の弛緩のおかげで伝播した幸福感に包まれながら、以前ある方から頂いた言葉を思い出した。

「洋平さん、『敗北』という言葉の由来を知っていますか?古代中国において、ぬくぬくとした環境で生活をしていた南の国の連中が、極寒の厳しい環境で生活をしていた北の国の連中に敗れたことに由来しているそうです。なので、自己の鍛錬のために洋平さんも北に行くといい」

今から2年ほど前に、ロサンゼルスでお世話になっていた合気道の師匠から言われた言葉である。図らずも結果として、その後、ロサンゼルスから日本へ、日本からオランダへ生活拠点を北へ北へと移すことになった。

生活環境を変えることは間違い無く、喪失感と高揚感の入り混じった感情を常に私にもたらす。そうした感情と真摯に向き合う時、これまでの自分の殻が破れ、過去の自分を超出し、新たな自己を獲得することになる。絶えざる自己超出というのは、発達の本質だろう。

身体と精神の所在地に変更を加えるたびに、環境を変えることは自己の発達に大きな影響をもたらすということをつくづく感じる。大きく環境を変えると、発達が否応なしに迫ってくる感じなのだ。

正直なところ、生活環境を変えるというのは、自分にとっていつも大きな負担なのである。しかし、到達したい高みと深みへ至るための最適な場所がこの世界のどこかにいつも存在しており、それが自然と目の前に現れてくるのだ。

自分を呼ぶ場所へ自分を運ぶこと。それが自分にできる最善のことであり、これがまさに過去10年間繰り返し活動拠点を変えきた理由なのである。時間の流れと共に自分の中で何かが深まっていき、その深まりに応じて新たな場所が開示されるのだ。

そうしたことを考えると、私たちという存在は、時間と場所に常に支えられ、それらによって育まれると言えるのではないか、と改めて思った。そして、発達とはまさに、時間と場所と存在が相互作用することによって初めて生み出されるものなのである。

時間と場と存在が三位一体となって築き上げていくものが発達なのだろう。時間、場、存在、それらを貶めるものを断固排斥しなければならないし、それらを絶えず豊かに育んでいくことに従事していかなければならない、そんなことを思った。

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