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246. 自己超出

渡欧三日前に参加する「国際心理学会議(ICP2016)」での発表が日本での最後の仕事になる。その日まであまり日数がないが、これから少し実家の山口県に戻ろうと思う。

東京から山口までの新幹線の道中、窓から見える景色をできるだけ逃さず記憶に留めるかのように、目に飛び込んでくる景色に没頭している自分がいた。

本来、常に存在している日本の様々な場所や人は、自分が意識しなければ自分の認識世界には存在していないことに改めて気付かされた。過ぎ去っていく景色を窓から眺めながら、それまで自分の認識世界に存在していなかった場所に存在の息吹を与えるように、移りゆく景色をただただ目で追いかけていた。

今の私の目は日常生活の中で曇ってしまったレンズではなく、非日常的な透明のレンズをまとっていた。透き通ったレンズから見えてくるものは、純粋な新しさを私の認識世界にもたらしてくれる。関東圏に降り注ぐ優しい雨と新鮮さをもたらす諸々の景色が、レンズの濁りを洗い流してくれたようだった。

認識のレンズが透き通ってくるにつれて、もう日本にはしばらく戻って来れないということを見通している自分がいた。日本に生活拠点を再び設けることは、早くて20年後、恐らく30年後ぐらいになりそうだ、ということを私の運命を導く存在者が耳打ちをしており、私もそのような気がするのだ。

一つ一つの景色を確認し、それらの存在を刻印させながら、自分はどのような人の認識世界に存在しているのか、自分は私の認識世界に本当に存在しているのか、ということに思いを巡らせる。他者から見ても私から見ても、自分の存在は今この瞬間に過ぎ去る景色のようなものかもしれないと思った。

認識世界に存在が入り込んできた瞬間、それは存在する。一方、認識世界からそれが退出した瞬間、それは存在しなくなる。存在は、明滅する光のようなものなのかもしれない。しかし、明滅する光のようなものであるからこそ、存在は永遠性を身にまとっている気がするのだ。

全ての存在は、神出鬼没であると同時に永遠なものなのだ。5年前に米国で自分の身に降りかかった自己を超出するという体験が、このところ頻繁に訪れる。「自分は果たして本当に存在しているのか?」という問いが誘発装置となり、私は自己を超出した認識世界に参入するのである。

これを初めて体験した時は、何が自分に起こっているのか全く分からず、自分が無の境地に吸い込まれるような恐怖感に近い感覚に襲われていた。しかしながら、今となってはこの体験こそ、私が自己を超出して永遠なる自分に触れる出来事なのだとわかった。

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