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244. 能力の選定と剪定


昨日は、市役所や税務署で各種手続きを行い、実家へ送る荷物の梱包が完了した。オランダへ送る荷物の梱包はこれからであるが、過去数年間において幾度となく引越しを繰り返してきたので、梱包も手馴れたものである。

元ハーバード大学教育大学院教授のカート・フィッシャーが指摘しているように、私たちは特定のタスクをこなす中でしか特定の能力を涵養できないと述べており、私も「引越しをする」というタスクをいくつもこなすことによって、「梱包能力」という特定の能力領域の力が高まっているのを感じる。

そのようなことを思いながら、何かを成し遂げるためには多くのことを捧げる必要があるとも思った。人間の能力的な発達においても、高みに到達するためには多くのことを捧げる必要があるのだ。ある能力が卓越という境地に至るためには、二つのことが大切になると思った。

カート・フィッシャーは、人間の能力は「網の目」を構成しながら発達していくと主張している。蜘蛛の巣のように、無数の能力が多様な道を辿りながら発達していく姿を想起することができる。

能力の発達が高みに至るためには、その能力の土台を形成するための様々な体験が第一に重要になる。多様な体験を積みながら、私たちは能力の土壌を豊かなものにしていくのだ。

肥沃な土壌があることによって、多様な植物が成長していくのと同様に、人間の能力においても豊饒な体験的基盤があることによって、能力が高度に育まれていく可能性が生まれてくるのだ。また、人間の能力が深まっていくためには、複数の能力が組み合わさって新たな能力が構成されることが求められる(記事230を参照)。

ここでポイントとなるのは、上述のように、まずは能力の基盤となる土台を確固としたものにすることである。自らの身体を通じて、自らの体験を通じて多様な能力を育み、能力の土壌を豊かにすることが高度な能力を後々育んでいく際に大切となる。

これはあまり着目されていないことであるが、私たちの能力を高度化させるためには、もう一つ大切なことがある。それは、土壌を耕すだけではなく、庭師が行う「剪定」作業のようなものが同時に必要になるということだ。ある能力の幹を太くするためには、単純に枝の数を増やすのではなく、あえて枝を切っていく試みも重要なのではないかということである。

以前、私たちの能力は一つの生態系を形成しているということを紹介した(記事220を参照)。生態系というメタファーを用いれば、単純に生物種が増殖することは生態系全体の発達に寄与しないことがイメージしやすいのではないだろうか。

生態系の資源は限られたものであるし、そこでは生物間の協調のみならず競争による淘汰が必ず生じているのだ。要するに、人間の能力の発達においても時間的・精神的・身体的な資源に限りがあるため、どの能力を育んでいくかを自ら考え、その能力に集中的にエネルギーを注いでいくことが能力の高度化を図る上で大切となるだろう。

これまで修練してきた能力と自分が本当に高めたいと思う能力の発達とに齟齬が生じる場合、過去の能力を手放すという剪定作業が時に必要になると思うのだ。一つの能力を卓越した段階にまで極めていくことは、もしかすると関係のない他の能力を根元から抜き去り、集中したい能力に十分な栄養を届けるような決断や覚悟が必要なのかもしれない。

ある能力を伸ばすためには、多様な文脈における様々なタスクに能力を適用させてみて、いったんは枝の数を増やしていく必要があるのだが、最終的には枝葉末節に伸びた枝を剪定し、幹に必要な養分を豊富に与える必要がある、というイメージが湧き上がってきている。

有限な生を持つ私たちが真に自らの才能を開花させるためには、能力の土壌を豊かなものにしつつも、特定の能力に十分な養分を注ぎ込むために、余計な能力を刈り取っていく必要があると思う。つまり、能力の発達には、能力の「選定」と「剪定」が等しく求められるのだ。

【追記:運がいい】

起床後、毎朝欠かさず行っている実践を終え、ダイヤモンドオンラインに取り上げていただいた秋山さんとの対談記事を改めて眺めていた(対談記事へのリンク)。対談記事の反応を確認すると、フェイスブックの「いいね!」の数が777であった。

偶然ながらラッキーセブンを目撃することができた。やはり自分は運が相当いいのだと思った瞬間、「運」についても考える必要があると感じた。運に対する考察を深めることは、このリアリティの成り立ちについて考察を深めることと同じだと思うのだ。

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