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242. Dear Cicadas


先日、夏を象徴してくれるセミの鳴き声がまだ聞こえないとつぶやいていた。今朝起きてみると、セミが鳴き始めていることに気づいた。セミの集合意識に私の祈りが届いたのだろうか。

昨日の散歩中、突如としてセミについてやたらと気になりだした。彼らは短命だと言われているが、本当にそうなのか?私たちがセミに固有な時間的流れに沿って生きてみた場合に、それは本当に短いと言えるのか?それでは、人間としての私の一生は長いのか短いのか、何を基準とすればそれは長くなり短くもなるのか?ということが気になり始めたのだ。

散歩から帰ってきた後、早速インターネットでセミの寿命について調べている自分がいた。調べてみて驚いたのは、なんとセミは昆虫類の中でも最長の寿命を誇る生物だということだ。確かに成虫の期間は数週間からひと月ほどと短いのかもしれないが、幼虫の際に地中で過ごす期間が数年にも及ぶとのことである。

アブラゼミの場合、幼虫は約6年ほども地中にいるらしい。彼らは人目につかない地中で何をしているのかというと、成虫という自身の最終形態へ向けてひたすら準備をしているのだ。地中の養分を獲得しながら、機が熟すまで十分に時間をかけて地中で逞しく生き続けているのだ。

この事実を知った時、とても感慨深い気持ちになった。セミの幼虫は、私たちの見えないところで時間をかけて成熟への歩みを進めているのだ。私たち人間の発達もそうだろう。誰からも見えないところで成熟への準備を着実に進め、必要な時間を十分にかけながら成熟へ向かっていくのだ。

こうしたことを考えていると、生命の寿命は長いのか短いのかと議論することにほとんど意味を見出せなくなり、結局のところ生命の一生は、時間を含んで超えた成熟過程の中を生きる姿としてしか表すことができないのではないかと思わされた。

日本で過ごす夏はごくわずかとなってしまっているが、残された貴重な期間にセミの鳴き声を存分に味わい、セミを見つけた時には少し立ち止まって再度思いを巡らせてみたい。

セミの抜け殻を見つけた時、そして成虫の期間を人生の最高の時期にしようとするかのように懸命に鳴くセミの姿を見つけた時、私たちは発達の真相を見出すことができないだろうか。生命として生きることの真相を見出すことができないだろうか。きっとできると思うのだ。

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