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238. 深化に寄り添って


ここ最近、自分を感化させてくれる書物にはどのような特徴があるのかを考えていた。すると、ある一つの共通する特徴が浮かび上がってきた。それは、書物の文章を仮に私の認識の刀で斬りつけた時に、その著者の血が滲み出るかどうかであった。

つまり、私を感化させてくれる書物は必ず、文章の一つ一つに著者の実存性がぎっしりと詰まっているのである。感銘を与えてくれる著者は常に、世界を単に外側から物語ることをせず、世界との関係性の中に自己を位置づけながら、絶えず内側から世界を物語ろうとしているのだ。そんなことをふと思った。

当初、このウェブサイトは発達理論に関する学術的・実践的な話題を共有することを主たる目的として掲げていた。その背景には、成人発達理論に関する数多くの知見が日本ではほとんど知られていないということがあった。

つまり、日本と欧米を比較してみると、人間発達に関する情報格差が大きく存在しており、そうした溝を少しでも埋める一助になればと思ってこれまで発達理論に関する学術的な話題を共有してきた。

この試みは私に課せられた一つの仕事だと認識しており、今後とも継続させていきたいと思う。しかし、そうした試みと同時に、私も一人の人間として発達理論を通じて生きたいと思うようになったのだ。

より正確には、人間の発達に関する三人称的な客観的記述のみではなく、発達理論を己の存在に適用した際に観察される自分自身の事柄にも等しく光を当てたいと思ったのだ。

学術的な探究対象は常に他者であり、発達支援という実践も他者に向けてのものだった。自己を省みないというこうした姿勢の裏には、どこか自分に対する不誠実さが付きまとっているような気がしたのだ。

そして、自己の内面を真剣に探究することの難しさを改めて感じたのだ。自分に最も近いと思われる自分の存在を探究することの難しさ。私の内側で明滅する現象、感情や感覚、そして思考の流れなど。それらは雲をつかむような捉えどころのないものとして、常に、今もこの瞬間に自分の内側で生起・消滅・変化・変容を繰り広げているのだ。

私は直近の3年間において、日々の仕事のデータを記録していた。具体的には、何の仕事に、何の探究分野にどれだけの時間を使っているのかを毎日データとして記録していたのだ。

先日、3年間の活動記録をひょんなことから振り返ってみたところ、面白いことに気づいた。約1,100日分のデータをエクセル上でグラフ化してみると、活動内容と活動時間が実に複雑な動きを見せていたのだ。その姿は、複雑性科学で言うところの、カオス的挙動であった。

これらのデータは、何の活動にどれだけの時間を投入したのかという、ある意味、客観領域に関する観察結果の集積体である。私自身驚いたのは、1万時間の法則を10年ではなく、3年間で駆け抜けたということ以上に、1万時間という膨大な投入量の実践活動の裏にある私自身の内面の心の機微を蔑ろにしていたというその怠惰さであった。

一人の人間として、一人の研究者として、一人の実践者として、自らの内側の動きを観察し続けなかったというその一点に己の無精さを見出し、懺悔したのである。おそらく、この3年間はそれなりの密度があったのだという慰めの気持ちと共に、それら3年間を空疎なものとして一蹴したいという気持ちもある。

自分の内面世界の一部始終を見届けることは、自分にしかできないという当たり前のことに気づいた時、内面世界の深化に寄り添い、深化の過程をひと時も逃してはならぬという思いに掴まれたのだ。

そうした理由で、私は成人発達理論に関する学術的・実践的な内容を備忘録としてここに書き残すのみならず、自己の内側の動きを絶えず言葉で捉え、それを記録していきたいと思ったのだ。

これからの3年間も再び1万時間の投入量で己の探究・実践活動に励むつもりである。しかし、これまでの3年間とは全く次元の違う密度でそれを遂行しようと決心している。

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