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223. 言葉の履歴書


——「名付ける」とは、存在を明澄の場(人間的空間)にもたらすことであった——辻邦生

今朝、毎朝焙煎している有機豆のコーヒーが全て無くなった。人は自らの余命に限りがあることを知った時、そこからの一瞬一瞬は全て新鮮なものとして目に映り、ありふれたものだとこれまで思っていたものたちが等しく全て大切な存在となる。

これはよく聞く話かもしれないが、十分な生命時間がある時からそれを感じながら生きるのはなかなか困難なことかもしれない。今の私の日常感覚は、余命に限りがあることを悟った人間の知覚感覚と実存感覚に限り無く近しいように思う。

日本で目にする一つ一つのものが新鮮であり、スーパーで購入する一つ一つのものが貴重なものであり、消費する一つ一つのものがとても尊い。今日購入するコーヒー豆は、日本で購入する最後のコーヒーとなるだろう。この人生における最後のコーヒー豆たちだ。

コーヒーを飲みながら、森有正先生と辻邦生先生から授かった教えを思い出す。それは、自分が従事する活動に対して何も書けないのなら、その取り組みは自分の生命時間を費やすに一切値しないということだった。日々の仕事を通じて、言葉として何も残すことができないのであれば、それは己の存在を課して取り組むべき対象ではないと思わされたのだ。

森有正先生にせよ、辻邦生先生にせよ、ケン・ウィルバーにせよ、カート・フィッシャーにせよ、井筒俊彦先生にせよ、自らの全存在をかけて探究に打ち込んだ人間は、膨大な量の言葉を書き残している。彼らは、自らの言葉を残すことによって、己の存在の履歴書を作成していたのだと思う。

そうなのだ、言葉というのは経験の履歴なのだ。経験の履歴とはすなわち、存在の履歴に他ならないと思うのだ。

これまでの私は、自分という存在の履歴を残そうとしない、経験の履歴を残そうとしないひどく無責任な人間だったのだ。そうした無責任さの中で営まれる探究活動には何か意義はあるのか、と絶えず自問するようになっていた。

そうした名目的な探究活動に従事することは、私に生命を授けてくださった存在と自分の生命そのものに対する冒涜行為だとすら思うようになった。一人のしがない探究者として、変貌を遂げなければならない日が来たのだと感じた。

今朝も自分の身体の内側に意識を向けていた。意識を身体の奥へ奥へ、深くへ深くへと向けていく。そうすると、そこには言葉にならぬ確かな感覚があるのだ。言葉の形を取らず、生々しくもあり、純粋な感覚がそこにあるのだ。

こうした感覚と同様に、私たちの経験も言葉にならぬものが多くあり、言葉の形から逃れた生々しい純粋な経験があるのだと思う。そうした純粋な経験や感覚に言葉を当てる必要はあるのか?純粋な経験や感覚は言葉から逃れたいのではないか?という疑問が出てくることだろう。

以前の私は、純粋な経験や感覚に言葉を当てることをせず、それらをそのままにしておくのが望ましいのではないか、と考えていただろう。しかし、今の私はまるっきり異なる考え方を持つ。

純粋な経験に言葉を当てないことは、「存在からの逃げ」ではないかと思うようになったのだ。私たちの経験を生み出すものは、私たちの存在である。そうした経験に向き合わないということは、すなわち自己の存在と向き合わないということだろう。

言葉というのは履歴を残すのだ。言葉は自らの経験を存在の中に刻印するのと同時に、私たちを対象と向き合わざるをえない状況に追い込んでくる。そのような性質を持っている言葉を用いて、己の経験と向き合い、己の存在と向き合っていくこと、そのような姿勢を私は持ちたいと思うのだ。

何より、真正の言葉というのは存在と直接的に結びつくものなのである。だからこそ、言葉を尽くして自分の存在を掴んでいきたいと思ったのだ。

また、言葉を紡ぎ出すことは、自分の経験を開示し、それを他者と共有することにもつながる。日々の経験を振り返り、経験をなんとかして具現化させようとする試みのその先に、自分の内側の深くに眠っている何かが目覚めてくると思うのだ。

そしておそらく、言葉を通じて開花されるそれは、全人類に普遍的な何かではなかろうかと思うのである。だからこそ、言葉を通してそれを発見し、言葉を通して他者と共有する必要があると思ったのだ。

今日という一日を振り返り、あるいは今という瞬間を振り返り、言葉を書き残していくことは、経験の履歴を残していくことに他ならない。今日の経験を振り返り、それを言葉という形で残すことによって、経験と言葉の双方が自分の存在に流れ込み、これまで気づかなかった自己の側面をこの世界に顕現させてくれることにつながるのではないかと思っている。

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