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211. 緩やかに荒々しく静かに


ここ最近の自分の感情を的確に表現するのは実に難しい。とても複雑に入り組んだ塊のようなものが、内側で現れては消え、消えては現れるという状況にある。そっとしておけばいいのかもしれないが、そっとしておいてはいけない気がしている。

なぜなら、この塊の深奥に何か大切なものが眠っているような気がするからである。群衆のような概念の茂みをかき分け、茂みの先にある自分の観念すら取り払った先には、何か純粋な感覚がそこにある気がするのだ。

この純粋なものに少し近づいてみると、自分の内側で静謐なものが緩やかに流れ続けているのがわかる。今の私にとって、この感覚は大きな安心感を自分にもたらしてくれている。

これまでの自分はどこか重たい鎧を身にまとって生きていたような気がしている。重たい鎧を身にまといながら、何かに駆り立てられながら前進していく姿がまぶたに浮かぶ。

重たい鎧が自己を取り巻きながらも、物理的な肉体を持つ私の生活拠点は、過去10年間実に流動的に移り変わっていった。目まぐるしく移り変わる生活拠点と重たい鎧について考えを巡らせてみると、あることに気づいた。

私たち人間は、どこかに根を張りたいという基本的な欲求を持つものだ。物理的・精神的な根を張り、安心感を得ることは、健全な肉体と精神を保つために重要だと思うのだ。

しかしながら、私は根を張るということに関して、チグハグな経験に苛まれてきた。どこかに根を張りたいという根源的な欲求がありながらも、生活拠点が点々としている自分にくさびを打つために重たい鎧が生み出されたのではないか、そんなことを思った。

根を張りたいという根源的な欲求の深層に安心感があるならば、精神に安心感が得られた時、この重たい鎧が消え去るのではないか。この一年間、あるサイコセラピストの方とセッションを積み重ねていったことによって、まさにこの重たい鎧が変容しつつあるのである。

自己の内側で流れる静謐さに安らぎ、すべてのものが静謐さに溶け込んでいくような身体感覚である。これは一種の状態ではなく、自己の永続的な特性になりつつあることも感じている。

一見すると、今の私も何かに駆り立てられながら前進しているように見えるかもしれないが、そこにはあの重たい鎧を身にまとった重々しい姿はもはやないのである。むしろ、今の私は紆余曲折する大河の流れに乗って、時に荒々しく、時に静かに流れていく大河の上の落ち葉のような存在なのかもしれない。

この表現もまだ腑に落ちない。大河の上の落ち葉も紛れもなく私であるが、その大河そのものも私であると思うのだ。静謐さは、大河の深層部分に存在している「流れることを知らない流れ」であり、まさにそれが自分なのだと気づいた時、諸々の執着から解放されつつある自分がいることに気づいた。

この感覚は、これからオランダを含め、世界の様々な拠点で生活を送る際に自分を根底から支え続けてくれる「自分」なのだと思う。

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