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197. 顕現する美


——雑草とは何か?それは、その美点がまだ発見されていない植物である——ラルフ・ワルド・エマーソン

突き詰めればどの知性領域・実践領域も美に行き着くのだと思う。卓越性を追求し、深みを追求した先に開けるのは美の境地ではないだろうか。

美が私たちを惹きつけてやまないのは、そこに卓越性と深みの結晶体が不可避に存在しているからだと思う。

究極的に磨き上げられたもの、あるいは深遠さを感じさせてくれるものに出会ったとき、私たちは息を飲む。美にはそんな力がある気がするのだ。

私自身、知性や能力の成長・発達プロセスやそのメカニズムを探究しているが、それは結局のところ、美の追求なのかもしれないと思う。美を具現化した人物や美へ至る道筋を研究することによって、多くの人たちが自分の中にある独自の美の種子を発見し、それを顕現させていくことにつながるような研究と実践を行っていきたい、と心の奥底で願っているのかもしれない。

しかし、その実現に向けて厳しい現実が突きつけられている。グローバリゼーションという名の「スタンダダイゼーション(standardization)」。グローバリゼーションは不可避に標準化を孕む。

過度なグローバル化が進行するにつれ、深さが蔑ろにされ、全てが均一的な平準物にならされていく・・・ケン・ウィルバーが警鐘を鳴らしていたフラットランドの進行だ。

グローバル化が進む条件には、確かに標準化がつきものであり、それにより、モノやサービスが効率的かつ大量に生産され、それらが世界規模で効率的に行き渡るようになるのかもしれない。

しかし、量的拡大と効率性を追求する標準化には、本来異なる深さのものが画一的に平準化されてしまう危険性があることを忘れてはならない。

何よりも、深さの象徴である美というものは、決して標準化・平準化されてはならぬものだと思う。あろうことか、美までもが標準化・平準化されつつあるという危機に現代社会は見舞われている。

こうしたスタンダダイゼーションの結果として、私たちは各人固有の美を花開かせることを妨げられているような状況下に置かれていると言える。

私の探究テーマと探究心を支える思想は、昨今のグローバリゼーションの風潮とは真逆のものだろう。探究者としての孤独があるとするならば、それは時代精神との乖離、あるいは対立から生まれてきたものかもしれない。

時代精神と逆行することになろうとも、真っ向から対立することになろとも、私は美を追求したいと思う。

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