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189. 「コトバだった」


言葉だった。私にとっては、コトバだった。

人は自らの余命を知った時、残りの生のあり方や送り方を見直すものである。自分の肉体的な余命がどれほどなのか定かではないが、日本で生活をし、日本語で精神生活を営む余命が幾ばくもないことを知る。

各人に使命というものが賦与されているのであれば、日本人としての私の使命は紛れもなく、母国に対して誓った約束を果たすことにあるだろう。

果たすべき約束のために、望むと望まざるとに関わらず、これから数十年間ほど日本を離れて研鑽を積んでいく。愚直なまでの修練を望む自分がいるのだ。

これから数十年間ほど国外で生活をしなければいけないにも関わらず、今のこの心境はいかなるものか。表層の波は激しく揺れ動き、深層は静謐な流れで満たされている。あるいは逆かもしれない。

日本を享受する余命が短くなるにつれ、この国での残りの過ごし方とあり方を僅かばかり考えた。

考えた末に出てきた答えは、これまでと何ら変わらぬ日々を悠揚迫らずに送ることであった。これまでと変わらぬ呼吸のリズムで、いつもと変わらず日々の仕事に取り組む。

もし仮に、残された僅かばかりの余命に背中を押されたものがあったとすれば、それは言葉だった。日本語を愛し、深く味わうこと。それだった。

この一年、日本に戻ってこれたことを幸運に思う。疑義を抱くことなく、様々な出会いに恵まれ、様々な取り組みをする機会を得た。

そして何より、私にとって一番大きかったのは、森有正と辻邦生という二人のフランス文学者の作品群との邂逅であった。

彼らの全存在によって紡ぎ出された言葉に触れた時、言葉に触れたはずなのに、言葉を失う。あぁ、これがまさに「コトバ」なのだ、「真言」なのだ、と悟った。

言葉の奥底へ奥底へと誘うような力を持った文章。そうした文章に触れ、彼らが言葉によって開示した深淵世界を超え、言葉によって開示されることなくコトバでしか開かれえぬ世界の扉を私は開く。コトバすら超越した先にある沈黙という名の音の世界に参入する。

日本で生活する余命が刻一刻と迫った私が選んだなすべきこと、それは言葉を超出したコトバに触れることしかなかった。だが、そうした拠り所があったということ、それができたということ、ただそのことに感謝したい。ただただそのことに祈りを捧げた。

そして、私はまたいつもと変わらぬ日常に帰る。

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