Recent Posts

185. 祖国を離れる日を想う:喪失と獲得の狭間で


人々は旅の途中で様々な駅を通過する。途中下車した駅から無限に広がる空間を思い思いに散策する。そして、そこからまた新しい旅を始めるのだ。

多くの旅人と同様に、私も次の駅へ向かう時期にあるようだ。渡欧の日が刻一刻と迫っている。日本に居られるのも残すところ後2か月である。

アメリカから日本に帰国してのこの一年間は、私にとって文字どおり、変容の期間であり、自分の中にある諸々のものを熟成させるための期間であったように思うのだ。正直なところを言うと、意識的な自己、つまり考える主体としての私は、アメリカから日本に戻ってくることをそれほど望んでいなかった。

しかし、考える主体としての私を超えたところにある存在者は、どうやら母国に私を連れ戻すことを望んでいたようだ。この一年間、母国の大地を踏みしめることができたこと、母国の風を感じることができたこと、これらは日本に戻ってくることを望んでいなかった考える主体としての小さな私にとってすら、感謝の念を持つべき対象となっている。

母国が刻む呼吸と私の呼吸を呼応させる日々も終わりに近づいている。いや、母国と私の呼吸は不可分のものとして永遠に呼応し続けるだろうし、両者の間に存在する絆はもはや断つことのできないものだと強く認識している。

祖国と私の間で切り離すことのできないものを感じていながらも、この喪失感は一体何なんだろうか?この喪失感を味わうことこそが、日本を離れるということに対する通過儀礼なのだと思う。

喪失感。オランダに渡るに際して、私は何かを喪失したという感覚と同時に、何かを喪失することによって生まれた空洞から新しい何かが湧き上がってくるのを感じている。

なるほど。人間の成長・発達は、確かに「喪失」と「獲得」の連続的なプロセスなのだと改めて感じさせられている。

5年前に渡米した時のあの解放感と無邪気さを味わうことはもはやできず、異質の感情がこの身に到来している様子を見るにつけ、私という人間は、確かに5年前と比較すると質的に異なった存在となっている。

「人間は一生涯にわたって質的に成長しうる」という発達心理学の根幹にある主張は、間違ったものではないだろうし、自分の経験とひきつけて考えてみても実に腑に落ちるのだ。特に、筆舌に尽くしがたい喪失感と新しい何かが自己の中で芽生えたという確固たる感覚を得たこの時期において、発達心理学の知見は骨身にこたえるものがある。

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

© 2013 All rights reserved by Yohei Kato

 

免責事項:当サイトを利用したウェブサイトの閲覧や情報収集については、情報がユーザーの需要に適合するものか否か、情報の保存や複製その他ユーザーによる任意の利用方法により必要な法的権利を有しているか否か、著作権、秘密保持、名誉毀損、品位保持および輸出に関する法規その他法令上の義務に従うことなど、ユーザーご自身の責任において行っていただきますようお願いいたします。

 

当サイトの御利用につき、何らかのトラブルや損失・損害等につきましては一切責任を問わないものとします。当サイトが紹介しているウェブサイトやソフトウェアの合法性、正確性、道徳性、最新性、適切性、著作権の許諾や有無など、その内容については一切の保証を致しかねます。当サイトからリンクやバナーなどによって他のサイトに移動された場合、移動先サイトで提供される情報、サービス等について一切の責任を負いません。当サイト内には、他の著作物から引用し、文章を作成している記事がございます。万が一、著作権に抵触する場合にはお知らせください。速やかに対処させていただきます。