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181. 読者の方から寄せられた質問事項(No.5):山口課長の言葉を繰り返す室積さんの意図


質問:室積さんが、事あるごとに山口課長の言葉を念押しする形でおうむ返しにも近い発言をすることには、どういった意味があるのでしょうか。

回答:その点に気付いていただき、大変有り難いです。結論から先に述べると、室積さんの意図は、山口課長の発話を安易に受け流さず、発話内容のみならず、山口課長の存在それすらも自分の内側に取り込むことにあります。

要するに、他者の存在それ自体を引き受けることによって初めて、意義のある問いを発話者に授けることができる、という対話原則を室積さんは持っているようです。

また、「会話」というのは「誤解の産物」と形容することができるぐらいに、発話者と聞き手がお互いに理解した振りをしながら成り立つものであると言えます。しかし、発達支援を意図した「対話」では、誤解の連続プロセスに風穴をあけるかのごとく、発話者の発言内容を真摯に受け止めことが不可欠になります。

発話内容を真摯に受け止める手段の一つとして、室積さんは山口課長の発言内容を繰り返していました。

さらに興味深いのは、発達支援コーチングに携わる私の経験からすると、発話者の発言内容を繰り返すことによって、発話内容の誤解を防ぐことのみならず、繰り返しを受けた発話者は往々にして新たな意味づけを行っていきます。

私たちは会話の中で、思考内容をすべて発話するとは限らず、何かを省略したり、あるいはその瞬間においては内容が不明瞭なまま発話することが頻繁にあります。そのため、いったん内容を確認することによって、発話者が言い残していたことや不明瞭なものを明瞭にするためのスペースを与えてあげることは、発話者の意味構築作業を手助けすることになります。

上記のような意図を持って、室積さんは山口課長の発言内容を繰り返していたと考えられます。

実はそれ以上に、対話に関する個人的な原体験が室積さんの対話のあり方を決定づけていたように思います。私は、ジョン・エフ・ケネディ大学大学院に在籍していた時、一年間ほど「ボームダイアローグ」と呼ばれる対話グループに毎週参加していました。

ボームダイアローグとは、理論物理学者のデイヴィッド・ボームが意識の探究、とりわけ人間の対話を探究した末に編み出された対話実践です。その実践は、秘教的にも映りますが、究極的には対話を通じて、お互いが共有する集合意識にアクセスし、そこを立脚点としてお互いが意味を交換し合うことを目的にしていたのだと思います。

こうしたダイアローグを実践するグループに毎週一回、一年間参加することによって、対話の表面的な技術を超えて、対話には深淵なものが宿っていることに気づかされた、という私の実体験が室積さんの対話のあり方に色濃く影響していたのかもしれません。

【回答に対して質問者の方から頂いたコメント】

傾聴という以上に、相手の存在そのものまでも自分の内側に取り込み、それによって室積さんは意義のある問いを山口課長に投げ掛けることができ、彼の意味構築活動の手助けまでしている、ということですね。

こういった室積さんの態度は、コーチングの場面ではもちろん不可欠だと思うのですが、われわれの普段の生活でも見習うべきものだと思いました。室積さんのように実際に発言内容を正確に繰り返すことは難しいにしても、室積さんの「対話」に臨む姿勢は、日常生活での「会話」における指針として非常に示唆に富むものだと思われたのです。

ここで我が身を振り返れば、室積さんの態度とは対照的であったことに気づかされます。過去の「会話」場面において、何処に私の基本的な関心があったかといえば、やはり相手の発言について“自分が”どう思うか、考えるかであり、また、それに対して実際に“自分が”どう切り返すか、だったと思うのです。関心事はあくまで“自分”なのです。しかも、相手が掛けている眼鏡にも自分が掛けている眼鏡にも気づいてはいません。

言うまでもありませんが、そういう態度には、既に相手の発言内容に対する恣意的な取捨選択が働いており、また自分の思考や感情に意識の焦点を合わせているので、多かれ少なかれ相手の話を聴いちゃいない訳です。

そして、大体において、相手の側でも自分と同じような姿勢で会話に臨んでいると思うのです。そうなると、会話はややもすると、モノローグ的な「問いかけ無き答えの応酬」に終始し、加藤さんのおっしゃるように、「誤解の連続のプロセス」の完遂というむなしい結末を迎えることになるでしょう。

悲しいことに、これが、私が日々交わしていた「会話」というものの正体だったのかもしれません……。まさに他者不在、室積さんの風上にも置けません。

相手を足掛かりに自我を肥大させることに関心が向きがちな「会話」と、相手の存在そのものを引き受けることで相手を変容させうる「対話」、いや、ちょうど室積さんが身をもって示したように、相手のみならず自らをも変容させうる「対話」という営みには、他者の他者性に対する配慮・尊重という点において雲泥の差があるなと痛感させられました。

それとともに、実りなき「会話」を超えて、室積さんのように他者の存在をも引き受けることを目指す、真摯な「対話的会話」を実践していきたいと思いました。

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