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176. 二重の虚構構造によって縛られている現代の日本語空間


現在、成長・発達の上昇的プロセスのメカニズムを探求するというよりも、下降的プロセスのメカニズムを探求することに重心がある。つまり、より成長・発達していくための要因やメカニズムを明らかにするというよりも、成長・発達を阻害・抑圧する要因やそのメカニズムを解明し、そうした要因やメカニズムに対して働きかける方策を模索している。

そうした関心を持っている最中、偶然ながら、江藤淳氏の「閉ざされた言語空間:占領軍の検閲と戦後日本」という書籍と出逢った。本書は、第二次世界大戦後の米国による日本に対する言論統制の実態を取り上げている。

第二次世界大戦後、米国が厳しい検閲を行い、日本を言語的側面・思想的側面から弱体化させようとしたことを表面的に論じている本は多いと思うが、本書は、江藤氏が米国在住時代に自らの足で行った緻密な文献調査によって生み出されたものであり、内容的に骨太である(逆に、記載されている文献データが多いぐらいであるが)。

本書を読む必要があると思った背景には、成人以降の構造的発達心理学の枠組みが、欧米諸国で研究や実践が始まってから30年以上遅れて、ようやく日本で普及し始めている、という事実を目の当たりにしたことがある。構造的な成人発達理論が日本に紹介されるのがここまで遅れたことは、その裏には言論統制や情報統制があったのではないか、と思わせるぐらいの事態である。

構造的な成人発達理論が日本に紹介されることに関して、そこまでの作為的な働きかけが存在していなかったとしても、実に奇妙なことだと感じた。

インターネットがここまで普及した現代社会において、英語がある程度できれば、英語空間に自らアクセスし、構造的な成人発達理論に関する論文を読むことは容易であるし、専門書籍を海外から取り寄せることも実に容易である。

こうした状況に私たちは置かれているにもかかわらず、日本語という言語空間に盲目的・堕落的に依存することをやめ、自らの意志で他言語空間に分け入っていかないのはなぜなのか?そんな素朴な疑問があったのだ。

本書の中で江藤氏は、いくつか示唆に富む指摘をしている。

特に、『まず日本を、「実効ある検閲の網の目」によって包囲し、その言語空間を外部の世界から完全に遮断する。しかるのちに「広汎」な検閲「攻勢」によって、この閉ざされた言語空間を占領権力の意のままに造り変える(p.139)」ということが戦略的・組織的に行われていたという記述が印象に残っている。

こうした検閲によって被った後遺症を今も日本は患っている気がしてならない。この一年間、日本で生活をしていて感じていた精神的な息苦しさや閉塞感は、これまでもずっと水面下で生じていた閉ざされた言語空間の呪縛を肌感覚で感じられるようになったからなのかもしれない。

さらに、この精神的な息苦しさや閉塞感は、第二次世界大戦後の外側からの言論統制の余波に起因しているだけではなく、新聞やテレビなどのマスメディアやソーシャルメディアによる日本社会の内側からの言論統制という二重の構造によってもたらされている気がしている。

日常生活の中で私たち個人が構築する意味は、本質的に虚構の産物であるということを考えると、外からの言論統制という虚構、内からの言論統制という虚構、という二つの虚構構造の中で、私たちは日々せわしなく虚構の産物を作り上げることに腐心していると言える。

そうした状況に抗うための、実行可能な最も容易なアクションは、日本語という閉じられた言語空間のみに依存することをやめ、他言語空間(特に英語空間)に自ら分け入って行くことだと思うのだが。

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