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168.歪な成長・発達プロジェクトに邁進する私たち


私が成人期以降の発達理論を学び始めた頃は、日本にその知見がほとんど取り入れられていなかった。もちろん、エリク・エリクソンのように、高校の倫理の教科書に出てくるほどの著名な発達論者の理論モデルは、日本の高校生ですら知っている。

しかし、私がこれまで探求をしてきた成人以降の「構造的(あるいは構成的)発達心理学」は、エリクソンのモデルが示唆するような年齢をベースとした発達段階モデルとは異なる。

エリクソンの発達理論が人口に膾炙したものであるという下地のおかげが、近年、構造的発達心理学の知見が徐々に日本の企業社会を中心として取り入れられつつある状況にある。

構造的発達心理学は、欧米諸国において、100年以上も前から研究が行われていたことを鑑みると、時代の隔たりはあるが、人間の成長・発達に関する学術的叡智が日本社会にも受け入れられ始めている事態を好意的に受け取ってもいいだろう。

ただし、新たなものを取り入れる際に気をつけなければならない課題も多々ある。私が危惧しているのは、人間の成長・発達を直接的に扱う発達理論の考え方や実践技法が歪曲された形で日本社会に取り込まれるとすれば、それは悲劇しかもたらさないということだ。

正直なところ、予想される誤認識や回避しなければならない現象は、大方すでに検討がつく。今後の記事では、そのあたりを少しずつ紹介していきたい。

発達理論に触れ始めると、多くの人にとって、それはあたかも自分や他者の成長を促進させてくれるきらびやかな理論に見える。しかし、私たち人間は、思っている以上に成長・発達などしないのだ。

発達心理学はもはや「心理学」の領域に収まらず、近年、応用数学のダイナミック・システム・アプローチや高度な統計技術を駆使した「発達科学」の様相を見せている。発達科学の進展は目覚しいものがあり、高次の発達段階の特性や発達のプロセスやメカニズムがかなりの部分まで解明され始めている。

そうした知見を鵜呑みにし、高次の発達段階の特徴を眺めていると、何やら自分も高度な発達段階を獲得したかのような感覚やさらなる成長を遂げることができるのではないかという期待感が芽生えてくるのは理解できる。しかしながら、そうした感覚は幻想であるし、そのような期待感はあまり持たないほうがいいと思う。

それらの幻想や期待感に自らを安直に委ねてしまった時、たいてい大きな不幸が起きる。それは、自らの歪曲化された「成長・発達プロジェクト」に縛られ、人生の諸々の出来事をそうしたプロジェクトに組み込んでしまうことだ。

例えば、子育てをすることは自分を成長させてくれるから、子育てに従事する。あの人と一緒に仕事をすれば、自分を成長させてくれるから、あの人と一緒に仕事をする。このような倒錯した発想はすべて、自身が盲信する成長・発達プロジェクトから生み出される。

事実、米国のインテグラルコミュニティーで私が目の当たりにしてきたのは、人生におけるあらゆる出来事や関係者を自分の成長物語の中に位置づけようとする奇怪な事態であった。発達理論が大衆向けに分かりやすく紹介され、その知見が多くの人たちの人生に取り入れられることは望ましいかもしれない。

しかし、その取り入れ方と取り入れられ方を誤ると、私たちは目覚めることなく、一生涯にわたって歪んだ成長・発達プロジェクトに邁進せざるをえなくなるだろう。

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